戦争と平和 エピローグ 第一編, レフ・トルストイ

一


七年たった。ヨーロッパの波立った歴史の海はそれぞれ己の岸に納まった。海は凪いだように思われた。しかし人類を動かしている神秘な力は(「神秘な」と言うわけは、人類の運動を支配している法則が我々に分からないからである)、その作用を続けていた。

歴史の海の表面が不動を保っているらしく思われたにも拘わらず、人類は時の進行と同じく絶えず動いていた。人々の集団の種々様々な群は、合ったり離れたりした。そして国家の成生と崩壊、諸民族の移動、こういうものの原因が準備されつつあった。

歴史の海は、以前のように岸から岸へと急激に動かなかったが、しかし深い底の方で湧き返っていた。歴史上の人物も、以前のように岸から岸へと波に運ばれないで、今は一つ所で渦を巻いているように思われた。以前、軍の首脳となって、戦争や、行軍や、戦闘などの命令を以て、群衆の運動を反射していた歴史上の人物は、今やこの運動を政治外交上の考慮や、法律や、条約などで反射していた……。

史上人物のこうした活動を、歴史家は反動と名づけている。

彼らの説によると、所謂(いわゆる)反動の原因であるところの、これら史上人物の活動を記述しながら、歴史家は彼らを峻厳に非難している。当時の著名な人々は、アレクサンドルやナポレオンを始めとして、マダム・スタエル、フォーチイ、シェルリング、フィヒテ、シャトーブリアンなどに到るまで、ことごとく歴史家の辛辣なる裁きに呼び出されて、進歩に貢献したか、反動を助けたか、その如何に依って免訴されたり、有罪判決を受けたりしている。

歴史家の記述によると、ロシアでも矢張りこの時代に反動が生じた。この反動の主なる責任者はアレクサンドル一世であった。即ち、彼らの記述によると、その治世の初期において、自由主義的施設とロシア救済の主なる功労者と数えられた、同じアレクサンドル一世なのである。

現代のロシア文学において、下は一中学生から上は博学な歴史家に到るまで、この時期におけるアレクサンドルの誤った行為に対して、自分相応の石を投げない者は一人もないだろう。

「彼はかくかくの行動をすべきであった。かくかくの場合には彼の行為も可であったが、しかじかの場合には不可であった。治世のはじめと十二年役の間には、彼も立派な行為を示していたが、ポーランドに憲法を与えたり、神聖同盟を締結したり、アラクチェーフに権力を与えたり、ゴリーツインや神秘主義を奨励したり、次いでシシコフやフォーチイを重用したりしたのは、よくない行為であった。彼が軍の実戦部隊を指揮したのは間違いであった。彼がセミョーノフスキイ連隊を解散したのはよくなかった」云々。

歴史家が自分の抱懐している人類の幸福に関する知識を基として、アレクサンドルに加えつつある非難を、残らず数え上げるならば、その稿数十頁にも上るであろう。

こう言う非難は何を意味しているであろうか?

歴史家が称揚するアレクサンドル一世の行為、すなわち即位当時の自由主義や、ナポレオンとの戦争や、十二年役に示した堅忍不抜の態度や、十三年の遠征などは、歴史家が非難する行為、即ち神聖同盟や、ポーランドの復興や、二十年代の反動などと同一の根源――即ちアレクサンドルの人格をああいう風に造り上げた、血統、教育、生活などという様々な条件――から流れ出たものではないか?

一体こう言う非難の本質は何であろう?

ほかでもない、アレクサンドル一世のような歴史的人物――四方八方から集中するあらゆる歴史の光線の目眩ゆい輝きの焦点となって、人間の権力の最高点に立っていた人物――権力に必ず付随する陰謀、欺瞞、阿諛(あゆ)、自己催眠などの影響を、世界中で最も強く受けていた人物――ヨーロッパで行われるすべての事件に対する責任を、生涯たえず自己の一身に感じていた人物――仮想の人物でなくして、あらゆる人間と同じように、個人的習慣と、情欲と、真善美に対する憧憬をもつ生の通った人物――こういう人物が五十年前に善行を積まなかったと言う点でなく(歴史家もこの点を非難しているのではない)、今日(こんにち)若い時分から学問に没頭している教授、即ち書物を読んだり講義をしたり、これらの書物や講義を一冊の手帳にうつしたりする教授の持っているような、人類の福祉に対する見解を頒(わか)たなかったと言う点、そこに非難の本質が存するのである。

けれども、よしアレクサンドル一世が五十年前に、国民の福祉に対する見解を誤っていたと仮定しても、アレクサンドルを非難する歴史家も、やはり幾年か過ぎた後には、人類の幸福とは何ぞやと言う見解について、誤りを犯していた事が分明する、と言うような場合も自然想像せざるを得ないではないか。まして歴史の発達の跡を辿って見ると、一年歳が改まる毎に、一人新しい著述家が現れる度に、人類の幸福とは何ぞやという見解が変わって、今まで幸福と思われていた事が十年後には悪と観ぜられたり、あるいはその反対の変化が生じたりするのを目撃している以上、この仮定は一層自然であり、かつ必然なのである。それのみならず、我々は歴史において何が悪であり、何が善であるかと言う事について、同時に全然相反する見解に遭遇する事がある。即ち、ある者はポーランドに与えられた憲法や神聖同盟を以て、アレクサンドルの功績とし、ある者はそれを失敗と見做すのである。

アレクサンドルとナポレオンの活動については、有益であったとか、有害であったとか、そんな風に言うことは出来ない。なぜと言って、それが何のために有益であり、何のために有害であったかを、明言することが出来ないからである。もしこの活動が誰かの気に入らないとすれば、それはこの活動が、善とは何ぞやと言う問題に関する、その人の制限された観念と合致しないからに過ぎない。一八一二年、モスクワにおけるわたしの父の邸が保存された事や、ロシア軍の光栄や、ペテルブルクその他諸大学の隆盛や、ポーランドの自由や、ロシアの国威や、ヨーロッパの勢力均衡や、ヨーロッパにおけるある種の文明――進化など、こういうものがわたしに取ってたとえ善と思われるにしても、すべての史上人物の活動がこれらの目的以外に、もっと一般的な、我々に理解できない、別な目的をもっていたことを、わたしは承認しない訳にゆかないのである。

しかし、いわゆる科学はすべての矛盾を調和する可能を有し、史上の人物や事件に対して、一定不変の善悪の尺度を持っている、とこんな風に仮定して見よう。

仮に、アレクサンドルが別な行動を探り得たとしよう。仮にアレクサンドルが自分を非難する人々、すなわち、人類運動の究極目的に関する知識を教授する人々の命令に従って、国民性とか、自由とか、平等とか、進歩とか言うようなもののプログラム(これ以外のものはなさそうである)、すなわち、今日の非難者がアレクサンドルに授けているプログラム通りに、処理し得たものと仮定しよう。このプログラムが可能であって、かつ既に編成せられ、アレクサンドルがそれによって活動したものと仮定しよう。そうすれば、当時、政府の方針に反対したすべての人々の活動――歴史家の意見によると、善であり有益であった活動は、一体どうなったであろうか?

こういう活動はなくなったに相違ない。生活もなくなったであろう。何もかもなくなってしまったであろう。

もし仮に人間の生活が理性で支配できるものとしたら、生活の可能は消滅しなければなるまい。


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