科学的世界把握――ウィーン学団, オットー・ノイラート

問題領域


算術の基礎

ウィーン学団の研究と議論においては、多様な科学分野から生じた多様な問題が扱われた。現在、問題の状況を解明するために、様々な問題の方向を体系的に統一する努力が行なわれている。算術の基礎に関する問題は科学的世界把握の発展にとって重要な意義を持っているが、それは、この問題が新しい論理学を発展させる契機になったという特別な歴史的重要性による。18~19世紀にかけて、数学が極めて実り豊かな発展を遂げたとき、人々は複雑な概念的基礎についての検討よりも、新しい結果の豊穣さに目を奪われた。だが結局その後、数学が、常に賞賛されてきた構造の確実性を失わないためには、基礎の検討が必要不可欠であることが判明した。この検討は「集合論のパラドクス」と呼ばれるある種の矛盾よりも、ずっと緊急の課題になった。それから間もなく、単に数学の一分野における難問に取り組むだけでなく、伝統的論理学の基礎に根本的な欠陥があることを示す普遍的な論理的矛盾、すなわち「アンチノミー」を問題とせねばならないことが明らかになった。これらの矛盾を除去するという課題は、論理学のさらなる発展に大きな刺激を与えた。ここにおいて、数概念を解明する努力と、論理学内部の改革とが、目的の一致を見たのである。ライプニッツとランベルト以来、現実をより明晰な概念と推論過程によって自在に操り、その明晰さを数学に倣って構築した記号体系によって達成しようとするアイデアは、何度となく試みられた。ブール、ヴェンらの後、特にフレーゲ(1884)、シュレーダー(1890)、ペアノ(1895)、がこの課題に取り組んだ。これら先駆的な仕事の上に、ホワイトヘッドとラッセル(1910)は、論理学の整合的体系を記号体系(「記号計算」)の形で構築することに成功した。この体系は、古い論理学の矛盾を回避しただけでなく、その豊穣さと実用的な応用可能性においても、古い論理学をはるかに凌駕している。二人は、この論理体系から算術と解析学の概念を導出することで、数学に確実な論理的基礎を与えたのである。

このように、算術(および集合論)の基礎の危機を克服しようとする試みが行なわれながらも、今日なお、決定的な解決を見ていないある種の難問が存在する。現在、この領域では三つの異なる立場が相互に対立している。すなわち、ラッセルとホワイトヘッドの「論理主義」、算術を一定の規則に従った形式的ゲームと見なすヒルベルトの「形式主義」、そして、算術的認識をそれ以上還元不可能な二にして一なる(Zwei-Einheit)直観に基礎づけるブラウワーの「直観主義」である。この三つの立場の間の議論は、ウィーン学団の極めて大きな関心事である。それがどのような決着を迎えるかは、まだ予測することができない。だがいずれにせよ、その決着の仕方によって、同時に論理学をどう構築するかの判断も決まることになる。この問題が科学的世界把握にとって重要なのはそのためである。なかには、これら三つの立場はその見かけほどかけ離れているわけではないと考える人々もいる。彼らは、三つの立場の本質的な特徴は、今後の発展の中で互いに接近し、恐らくはウィトゲンシュタインの射程の長い思想を利用することによって、一つの最終的解決へ統合されるだろうと予想している。

数学をトートロジーとみなす見解は、ラッセルとウィトゲンシュタインの研究に基づいているが、ウィーン学団もまた同じ見解を主張している。注目すべきことに、この見解は、ア・プリオリズムと直観主義に対立するだけではなく、数学と論理学をある程度まで実験的-帰納的に導出しようとする旧来の経験主義(例えばミル)とも対立する。

また、算術と論理の問題に関連して言うと、公理的方法一般の本質(完全性、独立性、無矛盾性、範疇性)や、特定の数学分野のための公理系を作ることについての研究もある。

物理学の基礎

当初、ウィーン学団が最も強い関心を寄せたのは、現実科学の方法についての諸問題であった。マッハ、ポアンカレ、デュエムらの思想に刺激を受けて、科学的体系、特に仮説的公理系を用いて現実を処理することの問題が議論された。公理系は、経験的応用から全く離れた、陰伏的定義(implizite Definition)の体系として考えられる。これは、公理系に現れる概念をその内容ではなく、公理を通した相互関係によってのみ確定し、定義する方法である。そのような公理系の現実に対する意味は、別の定義を付け加えることによって与えられる。それが、現実のどの対象が公理系の要素と見なされるべきかを示す「帰属定義(Zuordnungsdefinition)」である。歴史が示すように、現実を可能な限り統一的で単純な概念と判断の網で再現しようとする経験科学は、二通りの仕方で発展させることができる。新たな経験によって修正が必要な場合は、公理を優先させることもできるし、帰属定義を優先させることもできる。それゆえ、ここでは特にポアンカレが論じた規約の問題が関係してくる。

公理系を現実に適用する方法論についての問題は、基本的には個々の科学分野ごとに考察されることである。しかしこの研究が今までに成果を挙げた分野は、ほとんど物理学だけである。この理由は、科学の歴史的発展の現状から理解できる。つまり、物理学は、概念形成の明確さと精密さにおいて、他の科学分野よりもはるかに抜きん出ていることが、成功の理由である。

自然科学の主要概念を認識論的に分析することによって、大昔からまとわりついていた形而上学の不純物の除去がますます進んだ。特に、ヘルムホルツ、マッハ、アインシュタイン、その他の人々によって、空間、時間、実体、因果性、確率といった概念が純化された。絶対空間と絶対時間の理論は相対性理論によって乗り越えられ、空間と時間は、もはや絶対的な容れ物ではなく、単なる要素的出来事の秩序構造(Ordnungsgefüge)でしかなくなった。物質的実体は、原子論と場の理論によって分解された。因果性は、「影響」とか「必然的結合」といった擬人的性格を剥ぎ取られ、条件関係、つまり関数的帰属へと還元された。さらに、それだけに止まらず、より厳密と考えられていた自然法則の位置を統計的法則が占めるようになり、量子論と関連して、厳密な因果的法則性の概念を微小な空間にまで適用できるかどうかに疑いが生じた。確率の概念も、経験的に把握可能な相対頻度の概念に還元される。

上述の諸問題に公理的方法を応用することで、科学の経験的な要素が規約的な要素、すなわち定義の言明内容から区別される。そこにはもはや、ア・プリオリな総合的判断の入る余地はない。世界を認識することが可能なのは、人間の理性が物質にその形式を押し付けることに基づいているのではない。物質が特定の仕方で秩序づけられることに基づいているのである。その秩序の種類と程度については、あらかじめ知ることはできない。世界は、現にそうである以上に強力に秩序づけることができるかもしれないし、もしかしたら、認識不可能とまではいかないまでも、ずっと弱い秩序づけしかできないかもしれない。世界がどの程度法則的であるかは、経験科学の研究を一歩一歩推し進めることによってのみ知りうることである。帰納という方法は、昨日から明日への、ここからあそこへの推論である。当然ながら、この推論が妥当なのは法則性が成立する場合に限られる。しかしこの方法は、法則性についてのア・プリオリな前提に基づいているのではない。帰納は、その基礎づけが十分であろうと不十分であろうと、豊かな帰結が導ける場合はいつでも使うことが許される。帰納は決して確実性を保証しない。しかし、認識論的に考えるなら、経験的に追試可能なかぎりにおいて、帰納推論は無意味ではない。科学的世界把握は、研究活動が、論理的に十分明確でなかったり、経験的に十分に基礎づけられていない手段を用いていたとしても、それだけで研究成果を否定したりはしない。ただし、科学的世界把握は常に、完全に明確な補助手段を用いた追試――すなわちそれが体験への間接的または直接的な還元であるが――を求め、また要求する。

幾何学の基礎

物理学の基礎において、物理的空間の問題がここ数世紀の間に特別な重要性を持つようになった。ガウス(1816)、ボヤイ(1823)、ロバチェフスキー(1855)その他の人々によって、非ユークリッド幾何学への道が開かれた。つまり、これまで専制的な支配者として君臨していたユークリッドの古典的な幾何学体系が、実は、同程度に論理的に妥当な体系の無限集合の一成員に過ぎないことが認識されたのである。そこで生じた問題が、どの幾何学が現実空間の幾何学なのか、というものであった。早くもガウスは、三角形の角の総和を測ることでこの問題を解決しようと考えていた。こうして物理的幾何学は物理学という経験科学の一部になった。その後も、この問題は特に、リーマン(1868)、ヘルムホルツ(1868)、ポアンカレ(1904)によって研究された。とりわけ、ポアンカレは、現実空間の本性についての問いは、物理学の全体的体系との関連においてのみ答えられると言って、物理的幾何学と他の物理学の分野との結合を強調した。そしてアインシュタインがその体系を発見し、この問題に答えた。しかも、その体系はある種の非ユークリッド幾何学だったのである。

いま述べたような展開を通じて、物理的幾何学は、ますます純粋な数学的幾何学から明確に区別されるようになった。後者は、論理的分析の発展によって、徐々に形式化が進んだ。まず最初に算術化が行なわれ、一つの数論体系の理論として解釈された。次に公理化されて、公理系によって記述された。その公理系においては、幾何学の要素(点など)は不確定の対象と見なされ、その相互関係だけが規定される。そして最後に、幾何学の論理化が行なわれた。これによって、幾何学は特定の関係構造の理論として記述されることになった。こうして幾何学は、公理的方法と一般関係理論の最重要の応用領域になった。かくして、幾何学はこの二つの方法の発展に極めて大きな刺激を与え、それによって今度はこの二つの方法が、論理学自身と、科学的世界把握一般にとって非常に重要なものになったのである。

当然ながら、数学的幾何学と物理的幾何学の関係は、公理系を現実に適用する問題へと通じていた。そしてその問題がまた、今述べたように、物理学の基礎についての一般的研究において重要な役割を果たしているのである。

生物学と心理学の基礎

生物学は、形而上学者から常に特別な領域として偏愛されてきた。その愛は、特殊な生命力の理論、すなわち生気論の形をとって現れた。現代におけるこの理論の支持者は、不明確で曖昧な過去の形式から脱して、概念的に明確な表現をしようと努力している。生気の代わりに「優勢」(ラインケ、1899)や「エンテレヒー」(ドリューシュ、1905)などの概念が使われている。これらの概念は、所与への還元可能性の要求を満たさないので、科学的世界把握からは形而上学として拒否される。同様のことが、いわゆる「心理的生気論」にも該当する。これは、霊魂の介入、つまり「精神が物質を主導する役割」を説く立場である。しかし、形而上学的な生気論から経験的に把握可能な核を取り出してしまえば、後に残るのは、有機的自然の中では、物理法則に還元できない法則に従う出来事が進行しているという、余計なテーゼだけである。もっと厳密に分析するなら、このテーゼは、現実のある部分の領域は、統一的で一貫した法則性によっては理解されないという主張と同義であることが分かる。

当然のことであるが、科学的世界把握は、すでに概念が明確になっている領域の方が、その基本的な見解をより明確に確認できる。だから、心理学よりは物理学の方が明確に確認できるのである。今日、私たちが心理的なものの領域で話している言語形式は、古代において、霊魂についてのある種の形而上学的な表象を基礎としてその上に形成されたものである。心理学の領域における概念形成は、特に形而上学的重荷と論理的矛盾という、この領域の言語の欠陥によって阻害されている。さらにその困難に加えて、ある種の実務的な困難まで加わっている。結論としては、これまで心理学で用いられてきた概念の定義は、全く欠陥だらけということである。そのうちの幾つかについては、それが有意味なのか、それとも言語使用によって有意味に見せかけられているだけなのか、一度も確認されたことがない。従って、心理学の領域には、認識論的分析がなすべきことがほとんど手つかずのまま残されている有様だ。もちろん、この分析は物理的なものの領域における分析よりも難しい。全ての心的なものを体の行動、つまり知覚で到達できる層において把握しようとする行動主義的心理学の試みは、その基本的見解において科学的世界把握に近い。

社会科学の基礎

科学の各分野は、その発展段階の早期か後期かはともかく、どこかの段階でその基礎について認識論的な再検討、つまり概念の論理的分析を受ける必要が生じる。これは、特に物理学と数学について見てきたとおりである。社会科学の領域でも同じことであり、まず第一に歴史学と国民経済学がその対象となる。すでにここ100年ほどの間、どちらの領域でも形而上学的な不純物を除去する作業が進行してきた。しかし、まだ物理学ほどにはその純化は進んでいない。もっとも、この純化の課題は、物理学の場合ほど喫緊のものではないかもしれない。つまり、見たところこれらの分野では、形而上学と神学がその隆盛を極めていた時代であっても、それほど形而上学の混入を受けなかったようだからである。恐らくこれは、戦争と平和、輸入と輸出といった概念が、原子やエーテルのような概念に比べれば直接知覚しやすいという事情によるのだろう。「民族精神(Volksgeist)」のごとき概念を除去し、その代わりに個人の集団のような確定的な対象を扱うようにすることは、それほど難しくない。様々な方向の研究者として、ケネー、アダム・スミス、リカード、コント、マルクス、メンガー、ワルラス、ミュラー・リヤーらの名前を挙げると、彼らがある意味で経験的で反形而上学的な態度をもって活躍していることが分かる。歴史学と国民経済学の対象は、人間、物、およびその配置である。


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