クリスマスキャロル チャールズ・ディケンズ

最後の精霊


精霊はゆっくりとおごそかに音をたてず近づいてきた。精霊がやってくるあいだ、スクルージはこの精霊がうごくのにまつわる雰囲気そのものが陰鬱さと神秘さを振りまいているように思えたのでひざまづいていた。

精霊は深闇の上着にすっぽり身をかくし、頭も顔も姿もみせず、片方の手を伸ばしている以外は何も見えなかった。この手がなければ、夜からもまわりを囲む闇からもその姿を見分けることは難しかっただろう。

ただスクルージは精霊が側にきたとき背が高く威風堂々としていることは感じ取ることができ、その神秘の存在で畏敬の念にうたれた。精霊は口も開かなければ、動きもしなかったのでスクルージにはそれ以上のことはわからなかった。

「私の前にいらっしゃるのは、これからくるクリスマスの精霊でしょうな」とスクルージは口をひらいたが、精霊は何も答えず、ただ先の方をさししめした。

「まだ起こっていない事、ただこれから起こる事の影をわしに教えてくれるんでしょう」とスクルージは続けた。「そうじゃないんですかい、精霊殿?」

まるで精霊がうなずいたかのように、その瞬間上着の上の方がくしゃっとなった。それがスクルージに与えられた唯一の返事だった。

スクルージはこのときにはずいぶん精霊の相手をするのもなれていたとはいえ、これほど押し黙った姿にさすがに恐怖をおぼえ、足はぶるぶるふるえ、あとをついていこうとしても立っていられないほどだった。精霊はしばし待ってくれて、その様子をみて、震えが止まるの猶予をくれた。

しかしスクルージの震えは止まるどころがいっそう悪くなり、なんともいえない恐怖にすっかり身を縮ました。とくにあの暗いおおいの後ろでは精霊の目がじっと自分の方をみているのに、自分ときたらどんなに目をこらしてもぼんやりした片手と黒い塊しか見えないのだから。

「未来の精霊殿」スクルージはさけんだ「今までの精霊殿よりあなたがずっと怖く感じます。ただあなたがわしによくしてくれようとしていることは知ってますし、今までの自分とは違う自分になろうとも思ってます。だから我慢してあなたとお供して、感謝しようとも思ってますが、ずっとしゃべらないおつもりですかい?」

なんら返答はなかったが、手は前を指し示していた。

「行きましょう、行きましょうや」スクルージはつぶやいた。「夜はすぐあけてしまいますし、わしにとっても時間は貴重ですから。わかってます、精霊殿、行きましょう」

精霊はスクルージに近づいてきたときとおなじように動いていき、スクルージはその上着の影にくるまれるようにしてついていった。というか、持ち上げられて運ばれているようだった。

二人はたぶん街の中にはいったようだった。というのもむしろ街のほうがまわりに浮かんできて、ぐるりと二人の周りをとりかこんだようだったからだ。ただ二人は街の中心部、商人たちで混みあう市場に入っていった。商人たちは忙しそうに動き回りながら、ポケットの中でお金をちゃりちゃりいわせ、集まってなにやら話しては、時計をみて、思案にふけりながら大きな金色の印鑑をいじくっていり、その他スクルージもよくみかけていた事をしていた。

精霊は商売人たちのあるかたまりのそばで立ち止まった。手はその集まりを指し示していたので、スクルージはその会話に耳を傾けた。

「いいや」でっぷり太ってぞっとするようなあごをした男はこう続けた。「どちらにせよよく知らんのだよ。知ってるのは死んだってことだけだよ」

「いつ死んだんだい?」別のものが尋ねた。

「昨晩だと思うよ」

「どうして、何がおこったんだい?」大きなカギ煙草入れからたっぷりとカギ煙草をつまみながら、また別のものが口をはさんだ。「殺しても死なないと思ったがな」「知るもんか」最初の男があくびをしながら答えた。

「やつの金はどうなるんだろう」鼻に大きなできものができている赤ら顔の男が、まるで鶏があごのたるみをゆらすようにしながらそう尋ねた。

「聞いてないな」大きなあごの男はまたあくびをしながら答えた。「会社にでも遺したんでしょう。わしには遺してなくて、それだけは確かですな」

一堂はそこでどっと笑った。

「とても安上がりな葬式になるんでしょうな」同じ男が続けた。「わしは葬式に行くって人を誓ってまったく一人も知らんですから。いっそわしらみんなで有志をつのるかい?」

「昼飯がでるなら行ってもいいがね」鼻にできものがある男が口をはさんだ「腹が減ってはいくさができぬとね」

一堂はふたたび笑った。

「さてこうしてみると、みんなの中で私が一番関心がないみたいだね」最初の男がこう答えた。「黒い手袋もしてなきゃ、昼飯も食べる気がしないからね。ただ誰かが行くなら葬式には出てもいいな。考えても見れば、やつにとっては一番仲のいいほうの友人だったと言ってもいいぐらいかもしれないし。あえば立ち止まって話ぐらいしたもんですしね。では」

かたまって話をしていたものは散り散りになり、他の人たちと話し始めた。スクルージはその人たちを知っていて、説明をもとめるかのように精霊の方をみた。

精霊は通りを進んでいき、二人の男が話しているのを指さした。スクルージはそれが説明になるのだろうとふたたび耳をかたむけた。

スクルージはその二人の男もよく知っていた。二人も商売人で、とても裕福であり、有力者だった。スクルージはこの二人に覚えよろしくしようとがんばっていたものだった。もちろん商売のため、純粋に商売のためだけにそうしていたのだが。

「こんにちは」と一人がいうともう一人も挨拶をかえし、「そういえば、おいぼれもとうとうくたばったみたいだね」と最初の男が続けた。

「うん、聞いたよ、寒さでやられたんだろうな」

「クリスマスの時期にふさわしいな。ところであなたはスケートはするんですっけ?」

「いいや、他にも考えることがあるんでね、ごきげんよう」

他には何もなく話はまさしくこれだけで、二人は別れた。

スクルージは始め、精霊が一見したところこれほど意味のない会話に重きをおいたのに驚くばかりだった。ただ心ではそこにはなにか隠された意味があるにちがいないと思っていたので、腰をおちつけてどういうことなのかよく考えてみた。自分の共同経営者だったジェイコブの死とはなんら関係があるようには思えなかった。それは過去のことであり、この精霊の受け持ちは未来のことなのだから。ただ自分と深いかかわりのある誰かということではすぐには浮かんでこなかったし、浮かんできても前の会話には当てはまらなかった。ただ当てはまるのが誰であろうと、自分がよくなるための教訓がかくされていることはあきらかだったので、耳にする言葉、見たもの一つ一つを心にきざもうとした。とくに自分自身の姿があらわれたときはそれを見逃すまいとした。なぜなら自分自身の将来の行動がみすごしているなんらかの徴をしめしてくれるにちがいないし、こうしたもつれた謎をほどいてくれるのではと思ったからだ。

その場所で自分の姿をもとめてさがしまわったが、いつも自分が立っている場所には別の男がたっていた。時計をみるといつも自分がそこにいる時間をさしていたが、入り口からながれこんでくる群集のなかにも自分の姿形はこれっぽっちもみとめることができなかった。ただそれにもスクルージはほとんど驚かなかった。心の中では人生を一変させることを思い描いており、その人生ではまったく新しく行いを改めることを考え、希望していたからである。

暗闇で物音一つしなかったが、スクルージの側には精霊が手を伸ばしてたっていた。じっと物思いにふけっている状態から我にかえってみると、手の方向からは、見えない視線は自分自身を鋭く射抜いているように思われ、身震いがして肝を冷やした。

二人は喧騒をはなれ、街のへんぴな場所へと移動した。その場所は、だいたいの状況や悪いうわさは耳にしていたが、スクルージも足を踏み入れたことがないところだった。道はぬかるんでいて狭く、店や家々はぼろぼろだった。人々の身なりもひどく、よっぱらっており、だらしがなく、汚かった。路地や道からは、まるでそこが汚水溜めかのように、人にあふれた道へとくさい臭い、泥、ひどい生活を発していた。そうした一角全体に、犯罪、ゴミ、不幸が満ち満ちていた。

このような悪名高いゴミための奥ふかくまですすんでいくと、片流れ屋根の下にせまっくるしく出っ張った店が一軒あった。そこには鉄くず、クズ、あきびん、骨、べたべたした廃物が運び込まれていた。店の中では床の上に、さびたカギ、釘、くさり、ちょうつがい、とじ金、はかり、おもりといったありとあらゆる鉄くずがうずたかく積みあがっていた。好き好んでみるものもいないような秘密が、ひどいクズ、廃油のかたまり、骨のお墓で醸成され隠されていた。そういったものに埋もれるようにして、70歳にもなろうかという白髪の老人が古びたレンガでできた木炭ストーブのそばに座っていた。寄せ集めのぼろきれからつくった汚らしいカーテンをつるして寒さよけにしており、暖かな状態ですっかりくつろいでパイプをふかしていた。

スクルージと精霊がこの男の目の前までやってきたとき、ちょうど一人の女が大きな荷物をしょって店にこっそりと入ってきた。その女が店にはいるかどうかというときに、もう一人の同じように大きな荷物をしょった女も店にはいってきた。そのすぐあとに色あせた黒い服の男がつづいていた。男は女二人の姿をみて、女二人がお互いに驚いているのとおなじくらいびっくりぎょうてんしていた。いっしゅんの間のあと、パイプをくわえた老人もくわわって、みんな大笑いをはじめた。

「家政婦だけでも最初にくるものを」最初に入ってきた女はそうさけんだ。「で、洗濯女だけでも二番目で、葬儀屋だけでも三番目だ。みてごらんよ、ジョー、なんてこったい。もののひょうしで出くわすこともあるんだねぇ」

「ここほど出くわすのにうってつけの場所もなかろうよ」ジョーはパイプから口をはなすと言った。「さあ中へ入ってくれ。ずっと前からおかまいなしじゃないか、他の二人とて全く知らぬというわけでもなし。店の戸をしめるまでまってくれ、まったくなんてきしむだろうな。ここにもこのちょうつがいほどきしんでる奴はあるまいよ。はっはっは。みんな天職だな、いい組み合わせだよ。中へはいってくれ、中へ」

中とは、ぼろきれのあちらがわの場所だった。老人は階段の敷物を押さえる棒で火をあつめ、すすけたランプの芯をパイプの柄でととのえ(夜になっていたので)、ふたたびパイプを口にくわえた。

老人がこうしているあいだ、すでに口をひらいていた女は荷物を床に降ろして、これみよがしにひざの上でうでぐみしながら、軽蔑のまなざしを残りの二人にむけて椅子に腰をおろしていた。

「なにがおかしいんだい、なにが。ディルバーさんよ」女は口火をきった。「だれだって自分のことを構うもんだろ。ま、やつはいつもいつもそうだったけどね」

「まさしくその通り」洗濯女も同意した「比べようがないくらい」

「じゃあなんだって、まるで怖がってるみたいにそんなに立ってにらむもんじゃないよ、おまえさん。誰も秘密を知りやしないよ。あら捜しをしようってわけじゃあるまいし」

「そうとも」ディルバーと男は声をそろえた。「やめとこう」

「よしよし」女はさけんだ「それでいいよ。こんなささやかなもんがなくなったところで誰に損が及ぶというんだい。死んだ男だってね」

「まさしくそうだぁね」ディルバーも笑いながら答えた。

「もし死んだあともそのままにしてほしけりゃ、あのごうつく爺は」女は続けた。「なんだって普通の人生をおくんないんだろうね。そうしていれば、死ぬときくらい誰かに看取ってもらえそうなもんだよ。あんなふうに一人きりで息を引き取るかわりにね」

「それこそまさに真実をいいあててるね」ディルバーはもらした「それこそ奴に下された審判というわけだ」

「願わくばもっと審判が重くてもよかったねぇ」女は答えた「そうすればそれに従って、もっと別のものを手に入れていたかもな。包みをあけな、ジョー、そんで中のものに値段をつけとくれ。ざっくばらんに頼むよ。最初でもかまわんし、別に誰に見られててもかまいやしない。おたがいさまだってことはここで会わずともよーく承知してるよ。別に悪いことじゃないよ、さぁ包みをあけてくれ」

ただ仲間の侠気がそうはさせなかった。色あせた黒い服の男が最初に荷物をほどき、盗品をぶちまけた。そう高いものはなく、印鑑が一つ二つ、ふでばこ、一対のカフス、大して価値のないブローチでぜんぶだった。ジョーは一つ一つ詳細に調べて値踏みし、壁にひとつずつ値段を書いていき、それ以上品物がなくなったところで合計をだした。

「これが取り分だよ」ジョーは言った。「足をもって逆さにつるされても、これ以上はびた一文出せないね。お次は誰だい」

ディルバーが次だった。シーツ、タオル、下着とスプーンが二本、砂糖はさみが一つにブーツが二、三足。その取り分もおなじように壁に書かれた。

「女にゃいつも甘いんだ。それがわしの弱いところだよ、で身をもちくずすというわけだ」ジョーはそうこぼした。「これが取り分だ。もってほしいなんてぬかしてごねるようだったら、こんなに奮発したのを後悔して、半クラウンは少なくするぞ」

「じゃわたしの包みをほどいとくれ、ジョー」と最初の女がしゃしゃりでた。

ジョーはそっちのほうがほどきやすいので両膝をつき、いくつも結び目がある包みをほどき、大きななにかくろいものがぐるぐるまきにされているものを引っ張り出した。

「なんだいこれは」ジョーは尋ねた。「寝室のカーテンかな」

「おぅ」女は組んだ手を前にもちあげて大笑いしながら答えた。「寝室のカーテンだよ」

「やつが横たわったまま、輪っかやなんかごとそっくりこれをもってきたというわけじゃないだろうね」

「その通りだよ」女は答えた。「いけないかい」

「金儲けの星の下にうまれついたようなやつだな」ジョーはこぼした。「そんなことまでするなんて」

「手の届くものが手に入るときに、手控えるなんてとんでもない。しかもあんなやつのものならなおさらだ、誓ってもいいくらいだよ、ジョー」と女はいたって平静に答えた。「油を毛布にたらすんじゃないよ」

「やつの毛布だって?」ジョーは尋ねた。

「他のどいつのものだと思ってるんだい」女は答えた。「なくても風邪をひくわけでもあるまいし、ま、いわせてもらえばだがね」

「なんかの病気で死んだんじゃないことを祈りたいもんだ」ジョーはそうこぼすと、手をとめて視線をあげた。

「そんなことぁ心配しなくてもいいよ」女は即答した。「やつがそんなことになってるってのにあたりをうろついて、いっしょにいるほど物好きじゃないんでね。そうだろ、しっかりシャツを見ておくれよ。ま、どんなに見たところで穴なんてありゃしないし、すりきれてもないけどな。持ってた中じゃ一番いいやつだし、なかなかものもいいよ。わたしゃが手に入れなきゃ、無駄になるところだったんだからね」

「無駄になるっていうのはどういうことだい」ジョーは尋ねた。

「そのまま着せといたら確実にいっしょに埋葬されちゃうってことだぁな」女は笑いながら答えた。「どっかのばかどもはそうするもんだよ。だからわたしゃが脱がせたんじゃないか。もし更紗で十分じゃないっていうなら、他のなにで十分なのか知りたいもんだね。なんせやつの体にぴったりだったし、シャツを着ているより更紗の方がみっともないってこともないだろうしな」

スクルージはこの話を恐怖におののきながら聞いていた。かれらは略奪品を中心にあつまっていたが、わずかばかりの光は老人のランプからもたらされるもので、その風景はスクルージをもうんざりさせ、嫌悪をおさえきれないものだった。それは、悪魔が死体をやりとりしてたってこんなにすごいことにはならないだろうと思われるほどだった。

「はっはっは」ジョーがお金の詰まったフランネル製のかばんから、おのおのの取り分を床の上でかぞえあげたとき、女が笑い声をたてた。「これで決まりでさぁな。やつは生きてるときは人を遠ざけてたもんだが、死んだときになってこちらを潤してくれるとはね、はっはっは」

「精霊さま」スクルージは足の先から頭までぶるぶる震えながら言葉をしぼりだした。「わかりました、わかりました。この不幸な男のことはわしにもあてまるということですな、確かにわしの人生はこんなふうでした。慈悲ぶかき神よ、これはどうしたことでしょう」

風景が一変したのでスクルージは恐ろしさでたじろいだ。今いるところはほとんどベッドにさわれるところだった。そっけない、カーテンもとりはらわれたベッドで、みすぼらしいシーツがかかっており、その上になにかがよこたわっていた、それは物音をなんらたてなかったが、それゆえなんであるかを語らずとも物語っていた。

部屋はとても暗く、くらすぎて何があるかも分からないほどだった。ただスクルージは内心の衝動にかられてそこがどこかを確かめようとあたりをしかと眺め回した。外から朝日のあおじろい光がベッドに差し込んだ。そしてそこには、身の回りのものをすべて強奪され、見捨てられた、誰も涙を流すものもいなかれば看取るものもいない男の死体がひとつあるだけだった。

スクルージは精霊の方をじっとみた。そのゆるがざる手は死体の頭の方をさししめしていた。顔のおおいはとりあえずといった感じで、わずかに指一本ででももちあげれば、その死体の顔をおがめそうだった。そうは考えたが、自分の側から精霊をおっぱらう力がのこってないのと同様、そのおおいをはずす力も残っていなかった。

寒く、寒く、硬直した恐ろしい死がここに汝の祭壇をつくり、汝のおもいのままに恐怖でもってその祭壇を飾り立てる。ここがおまえの領土だからだ。ただ、愛すべきもの、あがめられるもの、尊敬されるものは髪の毛一本たりとも汝の恐ろしい目的のために動かせないし、姿かたちをおどおどろしいものにすることもない。それは今手が重くなり、はなせば落ちてしまうからでもなければ、心臓や脈がとまっているからでもない。過去に手が開かれていて、やさしく、真実味にあふれていたからであり、心は勇敢であたたかく、優しさにみちていたからだ。脈がまさしく人のものだったからだ。去れ、影よ、去れ。そしてよい行いが傷からうまれ、永遠の命で世界へ種撒かれるのをみるがよい。

どこからか声がしてスクルージにこのようなことを言ったわけではない。ただベッドをみていたとき聞こえてきたわけだ。スクルージはもしこの男が今立ち上がれば、まずなにを考えるだろうと思った。金儲け、冷酷な取引、あるいは嫌がらせか。こうしたものがこんな結末をまさしくもたらしてくれたわけだ。

まったくの一人っきりで、一人の男も女も子供さえもあれやこれやよ彼がよいことをしてくれたというものはおらず、またその一言の思い出ゆえにお返しをするんだというものもいなかった。猫が一匹ドアをひっかいており、暖炉の下ではねずみがかじる音がした。この死の部屋でなにをしたいのか、どうしてそんなに落ち着きがなく騒がしいのか、スクルージにはあえて考えてみるだけの勇気はなかった。

「精霊さま」スクルージは声をふりしぼった「ここは恐ろしい場所です、ここを離れても教訓は忘れません。信じてください、さぁ行きましょう」

しかし精霊は微動だにせず、指はじっと頭の方をさししめしていた。

「わかります」スクルージは答えた。「できればそうしたいんですが、力がないんです、精霊さま、力がでてこないんです」

精霊はまたスクルージのことを見据えているようだった。

「この街でもしひとりでも、この男が死んだことを悲しく思っているものがいるなら」スクルージは必死に言葉をつないだ。「その姿をみせてください、精霊さま、お願いします」

精霊は黒い上着をスクルージの前に翼のように一瞬拡げ、引っ込めると、日の光がさしこむ部屋に母親と子供が姿をあらわした。

母親は誰かを待ち受けていて、それもかなり気をもんでいるようだった。というのも部屋を気もそぞろにあちこち歩きまわり、あらゆる物音にはっとして、窓から外をながめていて、時計をみつめていたからだ。針仕事をしようとしていたがそれも手につかないようすで、子供たちがあそんでいる声でさえ我慢がならないようだった。

とうとう待ち受けていたノックが聞こえた。いそいでドアのところに行き夫を出迎えた。夫の顔はまだ若いにもかかわらず、やつれ疲れがにじみでていた。ただ今はその表情には自分では恥じていたが隠しようのない心からの喜びがうかがえた。

暖炉のそばで温められていた夕食が出されている食卓につくと、妻がどうだったと力なげにたずねたとき(それほど間をおいてというわけではなかったが)、夫はどう答えていいのやら戸惑っているようだった。

「よかったのそれとも悪かったの?」妻は助け舟をだした。

「悪かった」夫は答えた。

「じゃあ破滅ね」

「いいや、まだのぞみはあるよ、キャロライン」

「あの人の態度が軟化すれば、そりゃ望みはありますけど」妻はなげいた。「そんな奇跡がおきるだなんて、望みにもほどがありますわ」

「軟化どころじゃないんだよ」夫は答えた。「死んだんだ」

妻は温和ながまんづよい性格で、表情がよくそれを伝えていた。ただ死んだということをきいて心から感謝の念を抱かないわけにもいかなったし、両手をたたいてそれを口にした。もちろん次の瞬間にはそれの許しをこい、謝ったが、最初の反応こそが本心からのものだった。

「昨晩話したあのよっぱらいの女が言ったことが、そうぼくが彼に会って一週間の猶予をもらおうとおもったときにだよ、単にぼくのことを避けているんだと思ったけれど、まったくの本当のことだったことがわかったんだ。病状がかなり悪いだけじゃなく、死にかけていたんだよ」

「誰にわたしたちの借金はいくのかしら」

「わからないよ、ただそれまでにお金も用意できるだろうし。用意できないにしても、あれほど慈悲のかけらもないやつにいくほど運が悪いって事もないだろうよ。今夜はやすらかな気持ちで床につけるよ、キャロライン」

そう確かに、隠そうとしてもかくせないぐらい、かれらの心は軽くなっていった。子供たちの顔も明るくなっていき、自分たちはまったくわからないことを聞こうといそいでまわりに集まったりしていた。これがあの男の死によって幸せになった家庭だった。精霊がこのできごとによって唯一スクルージに示すことができた感情的な表現といえば、それは喜びだけだった。

「どうか死に関係があって、心やすらかになるようなことをお見せください」スクルージは口にした。「そうでもないと、精霊さま、あの今までいた暗い部屋が今にも自分の眼前に迫ってくるんです」

精霊はスクルージが歩きなれたいくつかの通りを抜けていき、スクルージはあちらこちらに自分の姿をおいもとめたが、どこにもその姿はなかった。二人は貧しいボブクラチェットの家に入っていった。前にも訪れたことのある住居で、母親と子供たちが暖炉をかこんでいた。

誰一人音をたてるものはおらず、とてもしずまりかえっていた。さわがしい二人の兄弟でさえ片隅でまったくしずかにしていて、本をひろげているピーターを見守っていた。母親と娘たちはぬいものをしていたが、一言も口をきかなかった。

「子供をかかえあげ、みんなの真中に置きました」

スクルージはどこでこの言葉を聞いたのだろうか? 夢に見たわけでもあるまい。スクルージと精霊が敷居をまたいだときに、ピーターが読み上げたのに違いない。それにしてもどうして先を続けないのだろう。

母親は仕事をテーブルになげだすと、顔に手を当てた。

「この色は目を疲れさせるね」母親は口にした。

この色! あぁかわいそうなちびっこティム。

「ずいぶんよくはなってきたけど」母親は続けた。「ろうそくの光じゃなおさらよくないよ。お父さんがかえってきたときには絶対目をしょぼしょぼさせたくないものね。さてそろそろお帰りの時間だよ」

「もう過ぎてるよ」ピーターは本をとじて答えた。「でもここ数日はいつもよりゆっくり歩いているんだと思うな」

ふたたびみんなは黙り込み、とうとう母親はただ一度だけふるえたがしっかりした明るい声をふりしぼった。

「そう、いっしょに歩いていたものねぇ、ちびっこのティムを肩車して早足で歩いていたものねぇ」

「僕もよく見たよ」ピーターも続け

「私も」と他のものも続け、みんなが賛同した。

「ずいぶん軽かったものねぇ」母親は仕事に取り組みながら思い起こすようにいった。「お父さんはずいぶんかわいがっていたものねぇ、だから苦でもなかったのよ、まったくね。あらお父さんが帰っていらしたわよ」

母親は迎えに出た、ボブはぼうしをかぶったまま入ってきた。ボブにはかわいそうに少しでもあたためてくれるものが必要だったのだ。暖炉にすでにお茶がはいっていて、みんなでせいいっぱい父親をはげまそうとした。クラチェット兄弟はひざのうえにのぼり、ちいさなほっぺたを顔におしあて、まるで「大丈夫、大丈夫だからお父さん、そんなに嘆かないで」とでも言ってるようだった。

ボブは家族にすっかりはげまされ、明るく家族にはなしかけた。テーブルの上の仕事をみては、妻と娘たちのてきばえと仕事のはやさをほめたてた。日曜よりずっと前に終わってしまうな、と父親はもらした。

「日曜ですって! じゃあ今日行ってきたんですね、ロバート」妻は口にした。

「あぁおまえ」ボブは答えた。「いっしょに行けるとよかったんだがな。あそこの場所がどれほど青々としてるかみせてやりたかったよ。でもすぐにたくさん見ることになるよ。毎日曜日に行くことを約束したからな、ちびっこ、ちびすけや」ボブは嗚咽した。「かわいそうに」

ボブはその瞬間がまんできなくなって泣き崩れた、どうにもがまんできなかった。我慢できるようであれば、ちびっこティムと今以上にいっそう遠くに離れているように感じたことだろう。

部屋をはなれ、二階へあがっていき、上の部屋にはいっていった。そこは明るくなっていて、クリスマスの飾りがぶらさがっていた。子供のそばには椅子が一脚おいてあり、だれかがすぐ前までずっとこしかけていたようなあとがあった。ボブはそこにこしをおろすと、物思いに少しふけり、気を取り直すと子供の顔にキスをした。起こってしまったことと折り合いをつけ、平穏な気持ちになって階下へと降りていった。

みなが暖炉のそばに集まり、話をした。娘たちと母親はまだ針仕事をしていて、ボブはみなにスクルージの甥のこれ以上ない親切さについて話した。一回ほどしか会ったことがないのに、あの日道ででくわして、自分がすこし気を落としているのをみると、「ちょっとばかり気を落としているだけだったんだけど」とボブはいったが、なにか気を落とすことでもあったのかと尋ねたのだった。「とにかくかれは楽しそうに話す人だからね、私は話したよ」とボブは語った。「心からおくやみを申し上げます、クラチェットさん、あなたのすばらしい奥さんにも気を落とさないようにお伝えください」と言ってくれたよ。「ところでどうしてそのことを知ってたのか、わからないな」

「何を知ってたの?」

「なんだって、おまえがすばらしい奥さんだってことを知ってたのかってことだよ」ボブは答えた。

「誰でも知ってますよ」ピーターは答えた。

「よく言ってくれた、息子よ」ボブは声を大きくした。「みんなに知ってもらいたいもんだな。『心からおくやみを』って言ってくれたよ。『すばらしい奥さんに』って。もしなにかお役にたつことがあればって」名刺をくれたよ。「そこにかいてあるのが住所で、どうか来てくださいよ」って言ってくれたんだ。「なにかをしてくれるからってこんなに嬉しがってるわけじゃない。まるでちびっこティムを知ってくださっていたかのようなのが心をうったんだよ」

「わたしもその人は本当にいい人だと思うわ」妻も賛成した。

「もし会って直接話せば、いっそうそう思うだろうよ」ボブは答えた。「そうよくお聞きよ、ピーターに職を世話してくれたってぜんぜんおどろかないな」

「ピーター、よくお聞きよ」クラチェット夫人は言った。

「それで」娘たちの一人がはやしたてた。「ピーターは誰かと結婚して、家庭をもつのね」

「いつまでもこのままやってくよ」ピーターはにこにこしながら答えた。

「すぐにはそうもいかんだろうが」ボブは付け加えた。「そうするまでにはまだずいぶん間があるだろうし。でもいずれはどちらにせよみんなばらばらにならなきゃいかん。でもちびっこティムのことは誰一人として決して忘れちゃいかん。そうわたしたちの間のこの最初の別離をだ」

「忘れませんとも、お父さん」みんなが声をあわせた。

「私もだ」ボブも答えた。「あんなに小さかったのに、ちびっこだったのにどれほどティムが我慢強くて穏やかだったか思い出すと、わたしたちはお互いにすぐに喧嘩するようなことがあっちゃいけないし、ちびっこティムが我慢強くておだやかだったのも忘れちゃいけないよ」

「絶対に。お父さん」みんなは再び声をあわせた。

「わたしはとても幸せだよ」ボブはもらした。「本当に幸せだ」

妻と娘たちと二人のクラチェット兄弟が父親にキスをして、ピーターとは固く握手をした。ちびっこティムの魂よ、汝の幼い魂は神からつかわされたものなのだ。

「精霊さま」スクルージは口にだした。「わしたちの別れる時間がせまってることがなんとなく分かります。どうやってかは分かりませんが、とにかく分かるんです。で、あそこに横たわって死んでいた男は誰なのか教えてください」

未来のクリスマスの精霊はスクルージをビジネスマンが集まるところにへとつれていった。それらの場所は前と時間が違うだけで同じであり、そうした風景には未来のことという一点を除いてはなんら整合があるように思えなかった、ただいずれの場所にも自分の姿はみあたらなかった。ただ精霊はどの場所にとどまるわけでもなく、どんどん進んでいき、スクルージがちょっと待っていただけませんかと嘆願するまで、望みのままの場所へと足をむけているようだった。

「この場所は」スクルージは口をはさんだ「今通り過ぎようとしている場所は、わたしがいる、ずっといた場所なんですよ。この家をみたいんです。未来のわしがどうなっているか見せてください」

精霊は立ち止まったが、その手は別の場所を指し示していた。

「家はあっちです」スクルージは説明した。「どうして別のほうを指し示すのですか?」

ただ無常にも手の指し示す方向は変わらなかった。

スクルージは事務所の窓の方へといそいで、中をのぞきこんだ。そこは事務所は事務所だったが、スクルージの事務所ではなかった。家具が違うもので、椅子の形も自分の物とは違っていた。精霊は前と同じ場所を指し示していた。

ふたたび精霊についていくと、自分はなぜどこへといったのだろうと怪しみながら、鉄の門のところまでやってきた。スクルージは門を入る前にあたりを見回しながら入っていた。

そこは墓地だった。そして名を知らしめられようとしている不幸な男は埋葬されていたのだ。そこは結構な場所だった。家々に囲まれていて、草や雑草におおわれ、ただそれも生きたものではなく枯れたものにだった。埋葬される人がおおく窒息しそうなほどで、まったく肥えていたといってもいいほどだった。まったくもって結構な場所だこと。

精霊は墓のあいだにたつと、一つの墓を指し示した。スクルージは身震いしながらそこへ歩をすすめた。精霊はいままでとかわりがなかったが、その厳粛な姿にはなにか新しい別の意味があるようにもみえ、不安にかられた。

「あなたさまが指し示している墓に近づく前に」スクルージは聞いた。「一つ質問があるのですが答えてもらえますでしょうか? こうしたものの影が実現する可能性は高いのですが、それとも低いのですか、どうなんでしょう?」

精霊はだまってただ同じ墓を指し示すばかりだった。

「人の行く末はきまりきった結果になるのでしょう。もし同じ事を続けていればそうなるにちがいありません」スクルージは語った。「でももしそのきまりきった道からそれれば、結果もちがってきましょう。あなた様が見せてくれたものについても同じだといってくださいまし」

精霊はぴくりとも動かなかった。

スクルージは依然としてうちふるえながら前に足をすすめた。指し示すのにしたがって、なおざりにされている墓石に自分の名前、エベネーザー・スクルージと書いてあるのを認めた。

「あのベッドに横たわっていたのはわしだったんだ?」スクルージはひざをがくりと落としてつぶやいた。

指し示すのは墓から彼自身になっており、そして再び墓へと向けられた。

「いいえ、精霊さま、いやです、いやです」

ただずっと墓が指し示されていた。

「精霊さま」スクルージは、その上着をしっかりつかみながらさけんだ。「聞いてください。わしはいままでのわしとは違います。この精霊さまとのふれあいがなかったらなっていただろう自分とは違う自分になります。もう希望がまったくないとしたら、どうしてこれをわしに見せるんですか?」

このときはじめて手はふるえたように思われた。

「よき精霊さま」スクルージは地面にひれふして続けた。「どうかわしのためにとりなしてくださり、わしを可哀想におもってください。わしにみせてくれたこうした影を、生まれ変わった人生でかえてみせますとも」

そのやさしい手はうちふるえた。

「クリスマスをこころから敬いますし、毎年そうしますとも。わしは過去、現在、そして未来に生きていきます。三人の精霊さまもわしとともに生きてくれるでしょう。教えてくれた教訓を忘れることはありません。この墓石の文字を消し去ることが出来るといってください」

感情がたかぶり、スクルージは精霊の手をにぎった。精霊はそれをふりほどこうとしたが、スクルージの懇願も負けてはおらず、にぎりしめた。ただ結局は精霊の力の方がつよかったので、スクルージはうちなげられた。

運命をかえてもらおうという最後の祈りで両手をかかげたスクルージが見たのは、精霊のフードと着ているものが変化したことだった。ちぢんで、姿をかえどんどん小さくなり、一つのベッドをささえる柱へとすいこまれていった。


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