メイカーズ コリイ・ドクトロウ 第三部

第三十一章


彼はまだ退院できるような状態ではなかった。そもそもまだ歩くことができなかったし、まわりの状況を把握できるようになるまでにはまだ時間が必要だった。それにカテーテルの問題もある。だが保険会社と病院は必要な処置は全て終わったということで意見が一致していて……たとえそれを説明する主治医が彼と目を合わせることができなくても……彼は退院するしかなかった。さっさと立ち去れ、どこへでも行くがいい、というわけだ。

彼は憶えている限りの会話の全てとその時、自分が感じたことをライブジャーナルのブログに載せた。ペリーと話した内容やディズニー・イン・ア・ボックスを打ち負かすために彼が思いついたアイデアについても載せていた。自分のアパートの部屋がまだ使えるのかさえ彼にはわからない状態だった……何週間も帰っていなかったし、家賃の支払いもたまっていた。

記事へはコメントが山のようについた。最初に書き込まれたのは友達からの数十のコメントで、それはすぐに数百、数千に膨れあがった。怒りの声があがり……一部の人は同情と寄付(!)を集めることを狙ったでまかせだと彼を非難し……脇道に逸れた形而上学的な議論が繰り広げられた。

それに埋もれるようにして病院で彼と会いたいだとか、住む家を提供するだとか、彼の看病をしたいだとかいった申し出がリアルとオンラインの友達からあった。彼のPayPal口座にはかなりの額の金……前の仕事の給料半年分と同じくらいの額だ……が振り込まれ、さらに信じられないことに病院のすぐ外には彼に会おうと人々が集まった。

看護師は困惑したような目を彼に向けた。「お友達が来ているわよ」。アニメの「ボリスとナターシャ」のようなアクセントで言うと彼女は非難するような目つきのまま痛みを感じる間もないほどすばやく彼の体につながった管やパイプを抜き取っていった。彼女は救世軍の支給品のパンツを彼に履かせ……何週間かぶりのことだ……新しいダークブルーのジーンズと三年前の日付がプリントされたロータリークラブのピクニックTシャツを着させた。シャツはサイズの小さなものだったがそれでもまるでテントのように彼の体に垂れ下がった。

「杖を使う?」彼女が尋ねた。彼は今週、理学療法を始めて松葉杖にすがりながらなんとか一、二歩よろめくように歩けるようになったばかりだった。杖だと? ありえなかった。

「無理だよ」磨き上げられたコンクリートの床に大の字に倒れこんで顔を傷だらけにした自分の姿を想像しながら彼は答えた。

「車いす」彼女がホールにいる誰かに言うと一人の用務員がきしむ音をたてる車輪のついたいすを押して入ってきた……だが車いす自体はしっかりしたもののようだ。少なくともディズニーで貸出をおこなっているとても壊れにくい車いすと大差はない。脇と膝に回された看護師の力強い腕のなすがままに彼は車いすへと運ばれた。彼のラップトップと何枚かのカード、その他の病院で手に入れたものが入ったかばんが膝の上に乱暴に置かれ、彼はそれを抱きしめたまま廊下の突き当りまで車いすで運ばれていった。突き当りを曲がってナースステーションの前を通り過ぎ、エレベーターで共用スペースまで降りるとそこに彼のファンたちがいた。

そこにいたのは彼の友達だけではなかった。むしろ友達は少ないほうでほとんどは会ったこともない見知らぬ人々だった。痩せて青白い顔の黒い服をまとったゴスもいたが圧倒的に多いのは少しヒッピー風な普通の見かけのサブカル系の一般市民だ。老人もいれば若者もいた。彼が姿をあらわすと彼らは盛大な歓声を上げて出迎えた。車いすを押す用務員が立ち止まり、あの看護師が急いで前へ進み出ると厳しい口調で静かにするよう言ったがその声も歓声にかき消されてかろうじて聞こえるだけだった。口笛や喝采、歓声、好き勝手に連呼される叫び声があたりに満ちていた。その人々の中にとてもかわいらしい二人の少女……彼が「かわいらしい」何かについて考えたのは本当にひさしぶりのことだった……がいて彼女たちが掲げている横断幕にはきらきらと輝く手書きの文字でデス・ウェイツと書かれていた。ウェイツWAITSのIの文字には小さな頭蓋骨のマークがあしらわれている。

横断幕に気がついた看護師は手を伸ばしてそれを彼女たちの手から奪い取ろうとしたが相手は強く引っ張り返した。彼女はデスのところにまで戻ってくると耳元で何かわめいた。彼らが彼を困らせるようだったら警備員を呼んで排除するとかなんとか言っているようだ。そこで彼は気がついた。彼女はデス・ウェイツ死が待っている脅迫の言葉だと思っているのだ。息が詰まるほど彼は笑い、彼女はスラブ系らしい激しい怒りの表情を見せながら大股で立ち去った。

気がつけば彼は歓迎パーティーのまっただ中にいた。まさにパーティーだった……ケーキやクローブたばこ、香りの強い缶コーヒーが用意され、みんなが彼と言葉をかわしては一緒に写真を撮りたがった。あの二人のかわいらしい少女たちは彼にメイクをしていった。傷跡を強調するようにしてベラ・ルゴシ役にふさわしい姿に彼を変えていったのだ。二人はレイシーとトレイシーという名前で姉妹だった。毎日のようにライドに乗りに行っているのだと言う。二人は一息にそう説明した。彼が記事で説明した物語を二人は目にしていた。自分自身の目で確認していたのだ。この双子の姉妹が互いに心を通わせるために幼い頃から育んできた自分たちだけの言葉と同じくらいそれは二人の心に強く迫った。

昔からの友達も彼を囲んだ。みんな彼の回復具合に驚き、女友達は彼の頬にキスをしてトレイシーとレイシーがしてくれたメイクを台無しにしてしまった。何人かは新しく入れたタトゥーを彼に見せてくれた……女の子の一人は片足全体にライドの様子を描いた作品を彫っていて、いたずらっぽい調子でそのタトゥーが始まる所まで彼にスカートをまくり上げて見せた。

やがて警備員が現れて彼らを外に追い出した。外はひどく蒸し暑かったが空気は新鮮だった。病院特有の薬臭い匂いのしないその空気を吸うとデス・ウェイツは自分が立ち上がって踊り出せるような気がした。弾けるような柑橘類の香り、バイオディーゼルの排気ガス、みずみずしい植物と眠気を誘うような真昼の光の中を飛ぶ羽虫の羽音。

「さあ、準備万端だ」まともな身なりをした人たちの一人が彼に言った。彼らは純粋にあの物語を愛している人々なのだということが彼にはわかった。彼の書いたものを読み、彼には他の者とは違う何かがあると結論した人々だ。みんな彼と話したがっていたが彼が昔なじみの友達とずっとしゃべっていても誰もそれに無理に割り込もうとはしなかった。「心配することはないよ」車が次々に現れ、みんなそれに乗り込んでいく。「さあ、行こう」

一台の車が彼の前に停まった。大きな荷台スペースと電動の昇降リフトがついている。車いすのままそれに乗り込むと二人の物語マニアのヒッピーが座席へ移るのを手伝ってくれた。「亡くなる前の十年間、俺の母さんは車いすを使っていたんだ」ヒッピーの一人が彼に教えてくれた。歳をとった男で高校一年の時に彼のお気に入りだった英語教師によく似ていた。プロのような手つきで彼がデスにシートベルトをかけると車は出発した。

英語教師のような男が恥ずかしそうに彼を見たのは車がメルボルンの道路……色とりどりの建物や広告、人々にデスは驚いた。息の詰まるような殺風景な白で塗りつぶされた病院とは全く違う……を十分ほど走ったころだった。

「君はあれ……つまりあの物語……が本物だと思うかい?」

しばらくの間、デスは考え込んだ。ここ一週間、彼はパーク・イン・ア・ボックスのことをずっと考えていて頭はそのことでいっぱいだった。言われてようやく彼は自分があの物語にとりつかれていたことを思い出しのだ。あの物語をはっきりと見るには漂うようにリラックスすることが必要だった。鎮痛剤の力を借りることで彼は簡単にその瞑想状態に到達することができていたのだ。

「本物だよ」彼は答えた。

英語教師とその友達の二人は少し安心したように見えた。「俺たちもそう思うよ」

車は彼のアパートで停まった……一体どうやって彼の住んでいる場所をつきとめたのだろう? ……しかも彼らが車を止めたのは彼の車のまさに隣だった! レッカー移動のせいでリアバンパーに傷が付いているのが見えたが、それ以外は記憶の中の姿のままで、誰かが洗車までしてくれているようだった。英語教師は車を駐車スペースに入れるとデスの側のドアを開けるために車の前をまわって歩いてきた。ちょうどその時、デスを出迎えてくれた他の者がアパートから出てきた。彼らが押しているのは……。

ライドで使われているのと同じような階段を昇る機能が付いた車いすだ。デスは自分に向かって押されてくるその車いすを見て喜びで大きな笑い声を上げた。車いすは縁石を軽々と乗り越え、ほとんど揺れることがなかった。彼をその車いすに運んでくれたのはあの二人のかわいらしい少女たち、トレイシーとレイシーだった。運んでいる間、二人の胸が不自然に押し付けられ、ジャスミンの香りがする髪が彼の頬に触れた。あの暴行以来で初めて彼は傷ついた自分のペニスが反応するのを感じた。

野生児のように彼は笑い、みんなも一緒になって笑った。その中のひとりがクローブたばこを彼の唇に咥えさせてくれたので彼はそれを勢いよく吸って少し咳き込んだ。エレベーターに乗り込む前に彼はもう一息、吸い込んだ。

何時間かたった後、彼は少女たちによってベッドに運ばれた。彼のアパートは汚れ一つなかった。夜のうちにまた同じように汚れ一つなく片付けられるだろうことが彼には容易に想像できた。その日の残りを人々は一緒になって夜通しライドで目にした物語について語り合って過ごした。どこでそれを目にしたのか、それは何を意味するのか、話は尽きなかった。あの物語が自ら立ち現れた今、何か評価をつけて操作すべきかどうかに関してはおおいに議論が交わされた。あの物語は無意識化の力によって生み出されたものなのだから、これからも無意識下の力に任せるべきなのではないかというのだ。

だが一方でそれに反対する意見もあった。自分たちにはあの物語の手入れをする義務があり、もし可能であればそれが意味するものをより明確にして理解することができない者や理解しようとしない者から守る義務があるのだという意見だ。

はじめデスはみんなが何を話しているのかわからなかった。あの物語のことをそんなに真剣に考えているのが少し奇妙でさらに言えば滑稽に見えたのだ。あれは美しいものだったがそれは偶然が生み出した美しさだった。重要なのはあのライドで物語はその副産物に過ぎない。

だが話を聞くうちに正しいのは彼らであることがデスにはわかってきた。あの物語こそが重要なのだ。それこそが彼らにインスピレーションを与えたのではないのか? ライドはたんなるテクノロジーだ……あの物語のためにこそあのライドは存在するのだ。

彼の頭はそのことでいっぱいになった。

「物語を守らなきゃいけない」彼は最後にそう言った。議論に耳を傾け、彼らが冷蔵庫いっぱいに用意してくれた食事を食べてトレイシー(もしかしたらレイシーの方だったかもしれない)が自分たちの両親がいかに没個性かを話すのに熱心に相槌を打ち、英語教師みたいな男性(彼の名前はジムといった)にトイレに連れて行ってもらい、昔からのゴス友達になじみの友達がミックスした音楽をかけてもらった後のことだった。

「物語を守ってそれをもっと明確なものにしなきゃならないと思う。あの物語は外に出たがっているし、あれを見ることができない人はまだたくさんいると思うんだ」ぼろぼろの顔のせいで話す言葉の説得力が失われるのも構わずに彼は話した。鏡で自分の顔を見てみたがトレイシーとレイシーのメイクはたいしたものだった……まるで最近のマリリン・マンソンのようで、ねじまがった口は残忍そうな染みのようだった。医者は失った唇の外科整形手術をおこなうと彼に話していた。歯の代わりになる義歯のインプラントも一緒におこなうことになっていた。彼自身の歯茎に新しい未分化細胞を植えてそこで成長させることができる専門医院だってあると教えてくれていた。それもあの訴訟の不可思議な力とライドが彼のための支払いをおこなっている間だけの話だったが。

今となってはこいつに慣れなければと彼は鏡で自分の顔をじっと見つめながら自分に言い聞かせ、最近ではこの顔もだんだん好きになってきていた。こいつはいいトレードマークになるだろう。どのゴスよりも彼をゴスらしくしてくれる。これからずっと彼ははぐれ者、変わり者の一人として生きていくのだ。ちょうど十代の軽蔑するような目の子供たちといっしょにディズニーにやってくる引退した老人たちのように。ゴスの子供たちはずっとゴスでいるわけではない……不良少年やドライバーのようなアウトドアスタイル、ヒッピースタイルやゲイスタイル、馬鹿みたいな格好をしたりギャルになったりしていく。だがそれでも彼らの両親は子供たちの奇矯な振る舞いや墓石への執着がおさまることで安心するのだ。

「俺たちはみんなにこいつのことを知らせなければならない」彼は言った。みんなと言った時、彼は自分が共に育ち、崇拝し、拒絶され、デートし、愛し、憎んだクールなサブカル少年たち全員のことを考えていた……「そしてこいつをみんなの物語の一部にするんだ。こいつを守ろう。言うまでもない。こいつを守るんだ」

それで議論は終わりだった。そんなことになるとデスは予想もしていなかった。何かについて話し合っていて彼の言葉で決着がついたことなど今まであっただろうか? だが今、それが起きたのだ。みんなが彼の言葉に従ったのだった。

その後で少女たちが彼をベッドに運んだ。彼が服を脱ぐのを恥ずかしそうに手伝った後でそれぞれがおやすみのキスを彼にしてくれた。トレイシーは親しげに彼の頬にキスをし、刺激的な香りと彼女の漆黒の髪が彼をなでた。レイシーのキスには親しさ以上の何かがあった。胸を彼の上半身に押しつけた彼女の舌が彼の口に押し入り、その銀色の瞳は見開かれたまま彼を見つめていた。彼女の指が彼の髪に絡められる。

息をこらえ切れなくなってキスを終えると彼女はくすくすと笑った。彼の口の傷跡を指先でなぞり、大きく息をつくと彼女の指先は彼の胸を通りすぎて下へと動いていった。自分が固くなっていることに彼は気がついた。あの彼の運命を決めた夜以来、彼の性器に快感が走ったのは初めてのことだった。廊下から急かすような咳が聞こえた……レイシーが出てくるのを待つトレイシーのものだ。

レイシーは目をぐるりと回すとまたくすくすと笑ってから手をすばやく下に滑らせた。一瞬、彼の性器をつかんでから睾丸を指先でなぞり、再びねじれた彼の唇にキスするとささやくように「おやすみ。朝にまた」と言いながら彼女は部屋から出て行った。

みんながいなくなるとデスは寝転がって長い間、天井を見つめた。あの英語教師風の男は夜の間に使えるよう携帯便器を置いていってくれたし、多くの人が交代でずっと昼間の面倒を見に来てくれると約束してくれた。着替えや買い物、あのすばらしい車いすへの乗り降りの手助けをしてくれると言うのだ。

彼は飽きることなく天井を見つめ、それから自分のラップトップへと手を伸ばした。ラップトップは彼が入院していた時と同じようにベッドサイドに置かれていた。電源を入れるとまっすぐに3D版ライドのページヘと飛び、今日のライドの様子を色々な角度から見て回った……後ろから、横から、下から、上から。物語を感じさせるものは何もなかった。物語はどこにもなかった。自分が目にした物語を刻みこむためのあのプラス一・マイナス一のついたジョイスティックがあったらどんなにいいだろう、そう彼は思った。


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