社会契約論――政治的権利の諸原則 第三篇, ジャン・ジャック・ルソー

第十四章 主権は如何にして維持されるか(続き)


国民が主権者の団体として合法的に集会すると同時に、政府の権限はことごとく止み、執行権は停止され、最下層の市民の身体も、最高長官の身体と同様に神聖にして侵すべからざるものとなる。何となれば、代表されている者が自ら顔を出しておる所には、代表者はもはや存しないからである。ローマの民会において勃発した騒動の大部分は、この原則を知らなかったりあるいは無視したりしたために起ったのである。この場合には、執政官コンスルは単なる人民の首領に過ぎす、保民官トリビューンは単なる弁舌家に過ぎず〔註〕元老院の如きは何でもないものだったのである。

〔註〕イギリスの議会では、この名称がほとんどこれと同じ意味に使われている。この二つの職務が類似しているために一切の権限が停止された時でも、執政官と保民官とは軋轢したのである。

政府が政府以上の権威の現存を認める、あるいは認めざるを得ない停止期間は、常に政府の恐れるところであって、しこうして、国家にとっては楯であり、政府にとっては馬銜はみであるところの、この人民会議は、常に政府首領等の恐怖する所であった。そこで彼等は、市民にこれを嫌わせるためには、術策、反対、妨害、約束等の手段を惜しまなかった。市民が、貪欲、怠惰、臆病であって、自由よりも安逸を好むときには、彼等は、政府の益々猛烈を極むる努力に長く抗することができないのである。かくて、対抗力が刻々に増すにつれて、主権は遂に消滅し、多くの都市国家は没落して不時の死を遂げるのである。

けれども、主権と専制政府との間に、時としては中間的勢力が入り込むことがあるから、それについて一言せねばならぬ。