社会契約論――政治的権利の諸原則 第三篇, ジャン・ジャック・ルソー

第十七章 政府の設立


しからば政府を設立せしむる行為は、これを如何なる概念に包括すべきか? 私は先ず第一にこの行為は、複合的行為であって、二つの行為即ち法律制定の行為と法律執行の行為とから成立しているということを指摘しておきたい。

第一の行為によりて、主権者は、かくかくの政体の下に、一つの政府を設けるということを定める。しこうしてこの行為が法律であることは明白である。

第二の行為によりて、国民は設立された政府を委託すべき支配者を任命する。この任命は個人的行為であるから、第二の法律となるものではなく、単に第一の法律の結果であり、政府の職能である。

ここで理解するに困難な点は、如何にして政府が存在しない前に政府の行為があり得るかという点、並びに、主権者もしくは臣民に過ぎない人民が、ある事情の下に、如何にして政府員もしくは行政官になり得るかという点である。

それと同時に、ここで、外見上矛盾しているところの機能を調和する政治体の驚くべき性質がわかって来る。何となれば、このことは主権が民主政治に急変し、何等目に立つような変化もなしに、ただ全体と全体との新しい関係によりて、市民が行政官になり、一般的行為から個人的行為に移り、法律から法律の執行に移ることによりて行われるからである。

この関係の変化は、決して実際に例のない思弁のつくりごとではない。イギリスの議会では毎日起っている出来事なのである。即ちイギリスでは、下院は時々、種々の問題を十分に討議するために全院委員会に変わり、主権者の会議が、一瞬にしてただの委員会になってしまうのである(ルソーの言は誤りで全院委員会は執行団体ではなく、下院は主権をもっているのではないとトオザーは指摘している)。かくして、主権者は委員会として定めたことを下院としての自己に報告し、一旦委員会となった主権者が、更に下院の権限に立ち返って討議するのである。

かように、一般意志の単なる行為によりて事実上の政府が設立されるということは、民主政治に特有の長所である。その後で、この臨時政府は民主政府に政体が極まれば、そのまま政権に居据ればよし、しからざれば法律によりて指定された政府を主権者の名によりて設立すればよいのである。これまでに説明して来た原則を破らずに、合法的方法によりて政府を設立することは、これ以外の方法では不可能である。