社会契約論――政治的権利の諸原則 第三篇, ジャン・ジャック・ルソー

第二章 種々の政体を成立せしむる原理


種々の政府の差別の生ずる一般的原因を証明するためには、前に私が国家と主権者とを区別したように、政府とその原質とを区別しなければならぬ。

行政官の団体は、多数の行政官をもって組織することもできるし、少数の行政官をもって組織することもできる。我々は主権者と臣民との比例は、人民の数が多い程大きくなるということを述べた。そこで、明白な類推によりて、政府と行政官との関係についても同じことが言える。

ところで、政府の力の総量は、常に国家の力の総量であるから、これは決して変化しない。従って、政府が、この力を政府員に用いる分量が多ければ多い程、政府が国民全体に対して用いる力が少なくなるということになる。

故に行政官の数が多ければ多い程、政府は薄弱になるのである。この原則は根本的原則であるから、我々はこれをもっとはっきり証明しようと思う。

我々は行政官という人間の中に、本質的に異なった三つの意志を区別することが出来る。第一は彼自身の個人的意志で、この意志は彼一個人の私利のみをはかるものである。第二は、行政官全体に共通の意志である。この意志は、ひとえに政府の利益のみをはかるものであって、団体意志ともいうべきものである。しこうしてこの意志は、政府にとっては一般意志であるが、政府をその一部分とする国家にとっては個人意志である。第三は人民の意志あるいは主権者の意志である。この意志は、全体として考えられた国家にとっても、全体の一部として考えられた政府にとっても等しく一般的である。

完全な立法においては、個人意志即ち私的意志は無効でなければならぬ。政府に特有の団体意志は極めて従属的なものでなければならぬ。従って、一般意志あるいは主権者の意志が常に他の一切の意志を支配する唯一の規準でなければならぬ。

これに反して、自然状態では、これ等各種の意志は、自分の身に近い程度に比例して、益々強くなるものであるから、一般意志は常に最も弱く、団体意志は第二に位し、個人意志は最も強い。そこで、政府員は、先ず第一に自己であり、次に行政官であり、最後に市民である。即ち社会状態が要求するものとは正反対の順序になる。

そうすると、もし政府全体が一人の手にあるとすると、個人意志と団体意志とは全く一致し、従って、団体意志は最大限度の強さを発揮する。しかるに力は意志の強さに準じて使用されるものであり、政府の絶対的の力は不変であるから、最も強力な政府は一人の政府であるということになる。

これに反して、政府と立法者とを合一し、政府を主権者とし、市民全体を行政官にしたらどうであるか。この場合には、団体意志は一般意志と混同してしまい、一般意志以上の活動はできなくなり、個人意志をして思うままにその羽翼を伸ばさしむることなるだろう。かくて、絶対的には常に同一の力をもっている政府の、相対的な力即ち活動力は最小限度に減ずるだろう。

この関係は疑うべからざるものである。しかもこれを確証する事項がこの他にもあるのである。たとえば、各行政官は政府の中においては、各市民が国家の中においてよりもより強い力を発揮するものであり、従って個人意志は主権者の行為の中においてよりも政府の行為の中においてより大なる力をもっていることがわかる。何となれば、各行政官はほとんど常に政府の何等かの役目を委任されているが、各市民は、一人一人としては何等主権の職能を委任されておらぬからである。しかのみならず、国家が膨張すればする程、国家の力はそれに比例して大きくなるとはいえぬが、その実際の活動力は大きくなる。けれども、国家が同じであるのに行政官の数を増やしたとて何にもならぬ。それによりて政府の実力は少しも増しはしない。何となれば、政府の力は国家の力であり、国家の力の量は常に一定不変であるからである。だから、政府の相対的の力即ち政府の活動力が減るばかりで、政府の絶対的の力あるいは実際の力は少しも増加する筈はないのである。

更にまた、政務を委任された人の数が多くなるに従って、政務の執行が益々敏活を欠いてくること、あまり用心をして大事をとっていると、機会を捉えることができなくなり、好機はむざむざと逃げてしまうこと、あまり考えすぎると考えた甲斐がなくなってしまうことなどはいずれも確実である。

私は今、行政官の数が増すにつれて政府の力が弛緩して来ることを証明した。それからさきに人民の数が増すにつれてこれに対する強制力を増加する必要があることを証明した。そこで、行政官と政府との比例は、臣民と主権者との比例の逆比例をなすべきであるということになる。換言すれば、国家が膨脹するにつれて、政府は収縮し、人民の数の増加に正比例して行政官の数が減るようにしなければならぬということになる。

ついでに言っておくが、私がここで言っているものは政府の相対的の力のことであって、それが正しいというのではない。何となれば、その反対に、行政官の数が多ければ多い程、団体意志は一般意志に接近して来るが、行政官が一人であれば、行政官の団体意志は、私が前に述べたように一人の個人意志に過ぎなくなるからである。こういうわけで、いずれにしても一長一短があるのであって、政府の力と意志とが常に釣り合いを保って、国家に対して最も有利な比例を持するのは如何なる点であるかを決定するのが、立法者の技量にまつところである。