社会契約論――政治的権利の諸原則 第四篇, ジャン・ジャック・ルソー

第三章 選挙


王府及び行政官の選挙は、前にも言ったように複合行為であるが、これを選挙する手続きには二つの別がある。公選と抽選とがこれである。この二つの方法は従来種々の共和国で行われたものであって、ヴェニス首長の選挙には、今なおこの二様の方法が極めて複雑に混用されている。『抽選による選挙は民主政治の性質に適したものである』とモンテスキューは言っている(Montésqieu, Esprit des lois L. II. 2)。私もこれには賛成である。けれどもどうしてそうなのであるか? 彼は続けて言う。『抽選は誰にも公平な選挙方法であって、各市民に等しく、自分も国家のために尽くすことができるという理由ある希望を抱かせるものである』。けれどもこれは理由ではない。

もし、国家の首脳人物を選挙することは政府の職能であって、主権の職能ではないということに注意するならば、抽選の方法が民主政治に最も適した方法であるということがわかるだろう。けだし、民主政治は行政事務が単純であればある程良く行われる政治だからである。

真の民主政治においては、ことごとく、行政官の職は利益ではなくて、重い負担であるから、これをある特定の個人に負担せしめるのは正当であり得ない。ただ法律によりて、当選者にこれを負担せしめることができるのみである。何となれば、この場合には、全ての人の条件は平等であり、誰が当選するかということは少しも人間の意志に関わらぬのであるから、法律の普遍性を傷つけるような特別な適用は全くないからである。

貴族政治においては、王府が王府を選み、政府は政府自身によりて支持されているのであるから、投票制度が最も適している。

ヴェニスの首長の選挙の例は、この区別が正しいことを確認するものであって、決してこの区別を破るものではないのである。由来かくの如き合成的方法は混合政府に適するものである。しこうしてヴェニス政府を純真な貴族政府と解するのは誤りである。この国ではもとより人民は何等の参政権ももたなかったが、その代り、貴族そのものが人民だったのである。多数の貧しいバルナボート Barnabotes は決して如何なる行政官の職にも近寄らず、貴族といっても、ただ空しい閣下の称号と大評議会に出席する権利とをもっているに過ぎないのである。この大評議会は、ジュネーヴにおける我々の国会と同じくらいの議員数からなり、このやんごとなき議員は、我が国(ジュネーヴ)のただの市民以上の特権はもっていないのである。この二つの共和国の極端な差異を取り除けば、確かにジュネーヴの中流階級は正確にヴェニスの貴族にあたり、ジュネーヴの土着民及び居住民はヴェニスの市民及び人民にあたり、ジュネーヴの農民は本土(ヴェニスの)の臣民にあたるのである。要するに、この共和国は、如何に考えて見ても、その大きさを別にすれば、その政府は我がジュネーヴの政府より貴族的ではないのである。ただ両者で異なる点は、我がジュネーヴには、終身官が一人もないから、抽選の必要がないという点だけである。

真の民主政治の国においては、抽選選挙の弊害はほとんどない。それは、民主国においては、全てのものが平等であり、道徳も才能も主義も財産も同じなのだから、誰が選ばれても大した変わりはないからである。けれども真の民主政治というものはどこにもないと言うことは既に私の言った通りである。

公選と抽選とが混用せられる場合には、特殊の技能を要するような地位例えば軍職の如きを選ぶ際には第一の方法をもってすべきである。第二の方法は裁判官の職の如く常識のある正義廉直の人でさえあればつとまる地位を選む場合に適当である。何となれば良く組織された国家においては以上にあげたような品性は市民全体に共通のものだからである。

君主政治においては、抽選も投票も行われる余地はない。君主が唯一の王府であり、唯一の行政官たる権能をもっているのであるから、その属官の選任は、君主のみに属する事項である。アベ・ド・サン・ピエール l'abbé de Saint-Pierre がフランス国王の顧問官を投票選挙によりて増員することを提議した時、彼は、自分の提案が、政体変更の提案であったことに気がつかなかったのである。

さて、これでもう私は、国民議会において、投票をなし、かつ投票を計算する方法を述べればよいわけである。けれども、この点に関するローマの政治史は、恐らく私の主張せんとする一切の原則を一層はっきりと説明してくれるだろう。二十万人からなる議会で、如何に公私の事務が処理されたかを多少詳細に調べて見ることは、識見に富める読者にとっては徒爾とじではあるまい。