社会契約論――政治的権利の諸原則 第四篇, ジャン・ジャック・ルソー

第八章 市民の宗教


人間は、はじめ神々以外に王をもたず、神政政治以外に政治をもたなかった。彼等は、カリグラと同じ推理をした。そして当時においては、彼等の推理は正しかったのである。人間が、自分の同胞を支配者としようと決心し、それがよいことであると思いこむことができるまでには、長い年月かかってその感情と思想とを変えてゆかねばならなかった。

神が、各政治社会の首長にされたという事実から、当然、神の数は国民の数と同じだけあったということになる。ほとんど常に敵対関係にある異国民は、長く同一の支配者を承認することはできないことであろう。それは相戦っている二つの軍隊が、同じ指揮者に服従することができぬと同じである。 こういうわけで、国家が区分されているという事の結果として多神教ポリティスムが生じ、多神教から、異教排斥と異国民排斥とが起った。この二つは、本来同じものなのである。そのことは次に説明するであろう。

野蛮国民も、自国の神と同じ神を崇拝しているのであると考えたギリシャ人の妄想は、彼等が、自らを、これ等国民の生れながらの主権者であると考えた妄想から来ている。けれども、今日、モロクとサトゥルヌスとクロノスとを同じ神であるとしたり、フェニキア人のバアルと、ギリシャ人のゼウスと、ローマ人のジュピターとを同じ神であるとしたり、異なった名前のついているこれ等の架空的存在物に、何等かの共通なものが残っておると考えたりして、異なった国民の神々を同一視せんとする知ったかぶりの議論は滑稽極まるものである。

各国家が、それぞれ別々の宗教と神とをもっていたこの異教時代に、宗教戦争が起らなかったのは何故かと問う人があるならば、私は答える。それは、各国家が、それぞれ独自の宗教と政府とをもっていたために、その神と、その法律とを区別しなかったという事実によってである。政治戦争は同時に宗教戦争であった。神々の領分は、言わば、国境によりて決められていたようなものである。ある国民の神は、他の国民に対しては、何等の権利をももっていなかったのである。異教徒の神々は、嫉妬深い神々ではなかった。彼等は、彼等同士で、世界を分けて支配していたのである。モーゼ自身並びにヘブライ人も、イスラエルの神について語る時に、時々こういう思想に陥っていた。彼等がカナン人の神々を全然尊敬しなかったのは事実である。それは、カナン人は、神に呪われた国民であり、滅亡の宣告を受けた国民であり、彼等がこの国民に代るべきであったからである。けれども、彼等が攻撃することを禁じられていた隣国の神々について、彼等がどう言っているか見るがよい。エフタはアンモン人に向って次のように言っている。『汝は汝の神ケモシが汝に取らしむるものを取らざらんや、我らは我らの神エホバが我らに取らしむるものを取らん』(旧約聖書、士師記第十一章二十四)。〔註〕これによりて見ると、ケモシの神が権利をもっている領土とイスラエル人の神が権利をもっている領土とは、ちゃんと区別されていたように思われる。

〔註〕ラテンの本文では〈Nonne ea quae possidet Chamos deus tuus, tibi jure debentur?〉(Jug. XI. 24)となっている。ところが、師父カリエール(Le P. Carrières)は次の如く仏訳した。〈Ne croyez-vous pas avoir droit de posséder ce qui appartient à Chamos, votre Dieu?〉私はヘブライの原文がどれ程力強い言い回しになっているかは知らない。 けれども、ラテン文では、エフタは、はっきりと、ケモシの神の権利を認めておるが、仏訳者は、ラテン文にはない「我々によればスロン・スウ」という言葉によりて、この承認を弱めていることは、我々にもわかる。

ところが、ユダヤ人がバビロン王に征服され、ついでシリア王に征服された時、彼等は彼等の神以外の神をどうしても承認しようとしなかった。そこで、この拒絶は征服者に対する反抗と見なされ、やがて彼等に迫害をもち来したのである。この事は彼等の歴史を見ればわかるが、これはキリスト教以前には類例のないことである。〔註〕

〔註〕神聖戦争ゲールサクレと呼ばれているフォキス戦争が宗教戦争でなかったことは明白である。この戦争の目的は、冒涜者の 膺懲ようちょうであって、不信者の征服ではなかった。

それ故に、各宗教は、これを規定している国家の法律に、専ら付属していたのである。ある国民を改宗させるには、これを征服するより外には道がなかったのである。征討軍以外の伝道隊はなかったのである。そして改宗の義務は、被征服者の従うべき法律であったのであるから、改宗を語る前に、先ず征服することが必要であった。人間が神のために戦うどころではなくて、ホメロスの詩にあるように、神々が人間のために戦ったのである。各国民は、自分の神に戦勝を祈り、その戦勝に報いるに、新しい拝壇をもってしたのである。ローマ人はある都市(ブラース)を占領する前に、先ず、その土地の神を召喚して、そこから退去することを要求した。それで、ターラント人に、激怒している彼等の神々を礼拝させておったのは、彼等が、この神々を、ローマの神々に服従し、その臣下たることを余儀なくされたものと見做したからである。ローマ人は被征服者に、彼等の旧法律を許したと同じように、被征服者に、彼等のもとの神々を許したのである。カピトルのジュピターに一つの冠を献納することが、ローマ人が被征服国民に課した唯一の貢税トリビューであったこともしばしばある。

最後に、ローマ人は、その帝国とともに、その宗教と神々とを拡大し、しばしば彼等自らも被征服国民の神々を採用して、都市の権利を双方の神々に与えたので、この大帝国の国民は、知らず知らずのうちに、多くの神々と宗教とをもっているようになった。そして、それは到る処で、ほとんど同じようなものだったのである。そういう訳で、当時既知の世界における異教が、遂に唯一の同じ宗教に過ぎなくなってしまったのである。

かかる事情の下に、キリストが、地上に霊の王国を建設するために現れた。この地上天国は、宗教と政治とを分離し、国家の統一を破り、国内の分裂をかもした。この分裂は、キリスト教国民を、絶えず悩ましたのである。しかるに、この、霊の王国という新思想は、異教徒の頭へはどうしてもはいらなかったので、彼等は、常に、キリスト教徒をもって、表面は服従しているように偽って、その実、独立して自ら支配者になり、現在は無力なために権威を尊敬しているようなふりをしているが、やがて、その権威を巧みに僭奪する機会ばかりを狙っている、真の叛徒と考えたのである。これがキリスト教徒迫害の原因だったのである。

異教徒が恐れていたことは遂に到来した。そこで、局面が一変した。謙譲なキリスト教徒の態度は打って変って来た。やがて、この彼等のいう霊の王国は、現実の首長の支配の下に、地上における、最も甚だしい専制を発揮したのである。

しかるに、地上には、常に王者があり国法があったものだから、この二重の権力が存在する結果として、不断に、権限の衝突が起り、そのために、キリスト教国家においては、一切の善政が不可能になった。そして、何人も、国王に服従すべきか、教主に服従すべきかの決断に迷うたのである。

この間、ヨーロッパ及びその近国においてさえも、多くの国民が、古来の制度を保存し、あるいは再建しようと欲したが、皆失敗に終った。キリスト教の精神は全てを風靡した。神の礼拝が主権者と独立していたところでは依然としてその独立を維持し、一度びその独立を失ったところでは、再びこれを回復し、国家団体との間に必然的関係はなくなった。マホメットは極めて健全な見解を持していた。彼は、その国家制度をよく統一した。そして、彼の後継者の教主カリフ等の下に政治が存続していた間は、その政治は正確に一体であって、その点においては善かった。ところが、アラビア人が繁栄し、開化し、文弱に流れ、遊惰に堕するに及んで、蛮人のために征服されてしまった。ここにおいて、二つの権力の間に分裂がはじまった。この分裂はマホメット教国においては、キリスト教国における程顕著ではないけれども、やはり、あるにはあったのである。特にアリー宗派において、それが著しかった。そして、ペルシャのように、この分裂が今日まで続いている国もあるのである。

ヨーロッパでは、イギリスの国王達は、自ら教会の首長になった。ロシアの皇帝ツァー達もそうである。けれども、彼等は、この称号によりて、教会の支配者になったというよりも、むしろその使用人になったのである。彼等が獲得したのは、教会を変える権利ではなくて、これを維持する権利である。彼等は、教会の立法者レジストールではなくて、その王府に過ぎぬのである。僧侶が、一体〔註〕となっている所では、到る処において、僧侶は、その国の支配者であり、立法者である。そういうわけだから、イギリスにも、ロシアにも、他の国と同様に、二つの権力、二つの主権者があるのである。

〔註〕僧侶を一体に結びつけるものは、フランスの宗教会議アサンブレのような、形式的な会議ではなくて、教会同盟コミュニオンであるということをよく注意しなければならぬ。この同盟と破門とは、僧侶の社会契約であり、この契約によりて、僧侶は、常に、国民と国王との支配者になっているのである。同盟に加入している僧侶はたとえ、世界の両端に住んでいても市民である。この発明は、政治上の一大傑作である。異教徒の僧侶の中には、こういうようなものはなかった。彼等は、決して僧侶の団体をつくらなかった。

キリスト教国のあらゆる学者の中で、この弊害と、その救治策を十分に理解していた唯一の人は、哲学者のホッブズであって、彼は、断固として、鷲の両頭を一つにして、政治的統一の回復に全力を注がなければ、国家あるいは政府の組織が正しくなる気遣いはないと主張した。けれども、滔々とうとう たるキリスト教の支配精神は、彼の学説とは両立しないこと、僧侶の利益は、常に、国家の利益よりも強いことを彼は明察すべきであった。彼の政治論が嫌われたのは、それが、恐るべき説であったり、誤った説であったためではなくて、それが、正しい、真実な説であったからである。〔註〕

〔註〕色々ある中で、一六四三年四月十一日付で、グロチウスが、その兄弟へ送った書簡の中で、この碩学が、ホッブズの著書(de Cive)において、如何なる点を称揚し、如何なる点を批貶しているかを参照されたい。もっとも、彼は寛大な精神に動かされて、ホッブズの説の悪いところがあるために良いところをも寛恕しておるように思われる。けれども全ての人はこれ程にも寛容ではない。

かような見地から歴史的事実を見てゆけば、ベイル(Plerre Bayle, 有名な歴史辞典の著者)とウォーバートンとの相反する意見を容易に弁駁べんばくすることができると私は思う。この中で、前者は、政治体には、如何なる宗教も無用であると主張し、後者は、これと反対に、キリスト教は国家の最も強固な支柱であると主張しているのである。我々は、前者に対しては、宗教に基礎を提供されずに建設された国家はないという証拠をあげることができる。また、後者に対しては、キリスト教の掟は、根底において、国家の強固な組織には有益であるよりも寧ろ有害であるということを証明することができる。私の真意を明かにするためには、私のここで説いている問題に関して、極めて漠然たる、宗教の観念を、今少しく明かにすればよい。

社会は、一般的社会かあるいは特殊的社会かのいずれかであるが、宗教も、社会との関係から考えると、二種に分けることができる。即ち人間の宗教と市民の宗教とがこれである。前者は、寺院もなく、拝壇もなく、儀式もなく、専ら、至上神の純粋な内心礼拝と道徳の永遠の義務とに限られたものであって、純粋、単一な福音教であり、真の有神論テイスムである。これは自然神法 le droit divin naturel と呼ぶことができる。後者は、ある一国に限られ、この国に神々を与え、これに特有の守護者を与える宗教である。この宗教はその教義ドグマを有し、その儀式を有し、法律によりて定められた、その外部的礼拝をもっている。故に、これを信奉している一国外においては、この宗教にとっては、全てのものが、不信の徒であり、異邦人であり、蛮人である。この宗教は、人間の権利義務を拝壇より遠くへは及ぼさない。原始諸民族の宗教は、全てかような宗教であった。我々は、これを市民神法あるいは人的神法 droit divin civil ou positif と呼ぶことができる。

これよりも、更に奇径な第三の宗教もある。それは、人間に、二つの立法、二つの君主、二つの祖国を与え、彼等を相矛盾せる義務に服従させ、彼等をして、忠実な信徒であることと、忠誠な市民であることとを同時に妨げしめるものである。ラマ及び日本の宗教がそれである。ローマのキリスト教もそれである。我々は、このローマ教を僧侶の宗教と呼ぶことができる。かような宗教から生ずるのは、一種の混合した、非社会的な法であって、それには名前のつけようがない。

この三種類の宗教を、政治的に考察すれば、皆それぞれ欠点をもっている。第三の宗教が悪いことは明白であって、そのことを証明するのは全くの暇つぶしである。社会的統一を破るようなものには全て何の価値もないのである。人間を自己と矛盾させるような制度は無価値である。

第二の宗教は、神の礼拝と法律に対する愛とを結びつけている点において、また、祖国を市民の尊崇の標的として、国家に奉仕することは、国家の守護神に奉仕する所以であることを教えている点において、良い宗教である。これは、帝王の他に教主を許さず行政官の他に僧侶を許さぬ一種の神政政治である。故に国家のために死ぬのは殉教であり、法律を犯すことは冒涜であり、罪人を公刑に処するのは、彼を神の怒りにささげること、Sacre esto(神に呪われよ)である。

けれども、この宗教は、誤謬と虚偽との上に打ちたてられたものであって、人間を欺き、人間を妄信あるいは迷信に陥らせ、真の神の礼拝を、空虚な儀式の中に溺れしめる点において、悪い宗教である。更にまたこの宗教は、排他的、暴政的となって、ある国民を、残忍、不寛容ならしめる時は悪い宗教であって、その結果、その国民は殺戮、虐殺を事とし、彼等の神を信じない者を誰でもかまわず殺しながら、神聖な行為をしていると信ずるようになるのである。かような場合には、この国民は、他の一切の国民と戦争する自然状態におかれるのであって、それは、この国民自身の安全にとっても、極めて有害である。

それ故に、あとに残るものは、唯、人間の宗教、即ち現代のキリスト教ではなくて、福音書のキリスト教だけである。けだし、この両者は全く別のものである。この神聖、崇巌なる真の宗教によりて、同じ神の子なる人間は、互いに他の全ての人間を兄弟と見なし、これ等の人々を結合する社会は、死んでも解けないのである。

けれども、この宗教は、政治体に対しては、何等特別の関係をもっていないから法律は、もとからもっていただけの力をもつに止まり、これに何物をも付加しない。従って、個々の社会の一大連鎖が効力を失って来る。加之しかのみならず、更に進んで、この宗教は市民の心を国家に結びつけないで、地上の全てのものとともに、これを国家から離れさせる。私は、これ以上に社会的精神に反したものを知らない。

真のキリスト教国民は、我々の想像し得る、最も完全な社会をつくるだろうと言う人がある。私はこの仮定には、一大難点しかみとめない。それは、即ち、真のキリスト教徒の社会は、もはや人間の社会ではなくなるだろうということである。

更に進んで、私は、この仮定的社会は、如何に完全であっても、最も強固な社会でもなければ、最も永続的な社会でもなかろうと言いたい。かような社会は、完全であるがために、その結合力を欠くであろう。かかる社会を亡ぼす欠点は、それが完全であるという事自体に存するのである。

各人は自己の義務を果たすであろう。国民は法律に服従するであろう。君主は公正仁慈であるだろう。官吏は廉直潔白であるだろう。軍人は死を軽んずるであろう。虚栄もなければ、奢侈しゃしもないであろう。これ等は全て、甚だ結構である。けれども、もう一歩深く調べて見なければならぬ。

キリスト教は全く心霊の宗教である。専ら天上の事柄にのみ専心している宗教である。キリスト教徒の祖国は、この世界ではないのである。キリスト教徒が、義務を果たすのは本当である。しかしながら、彼は、自分のすることが成功しようが失敗しようが、そんなことには全く無頓着である。 自分さえ俯仰天地に恥じなければ、彼はこの世界がうまくおさまって行こうと、悪くなろうと毫も意に介しないのである。たとえ国家が栄えていたところで、彼は、到底、社会の幸福を享受するようなことはしない。彼は自国の光栄に心が驕ることをひたすら恐れるのである。もし、彼の国が衰微しても、彼は、彼の国民に重く加えられた神の手を祝福するのである。

かような社会が平和であり、調和が維持されてゆくためには、全ての市民が、一人の例外もなく、等しく善良なキリスト教徒である必要があるだろう。けれども、もし不幸にして、そこに、唯一人の野心家、唯一人の偽善家、たとえば、一人のカティリナ、一人のクロムウェルがあったならば、これ等の人は、必ずや、敬虔なる、彼等の同国人を利用すること必定である。キリスト教の慈悲は、隣人に悪意を抱くことを容易に許さない。そこで、この野心家が、何等かの奸策によりて、彼等を欺き、政権の一部を獲得するようになったが最後、彼は神意によって威厳を加える。彼が衆人に尊敬せられるのは神意であるということになる。やがて彼に権力が生ずる。衆人が彼に服従するのは神意だということになる。この権力の保持者は、それを濫用する。すると、それは神がその子等を罰する鞭だということになる。彼等はこの僭奪者を追放することを、躊躇するであろう。彼を追放するためには、公安を乱し、暴力を用い、血を流さねばならぬ。しかるに、左様なことは、キリスト教徒のやさしい心と調和しない。そこで、結局、この、不幸の谷間ガアレ・ド・ミゼエルにおいて、自由であろうと、奴隷であろうと、何の関するところがあろう? 要は天国へゆくことである。そして、忍従していることは、天国へゆくための一手段に他ならぬのである。

もし外国と戦争がはじまったならば、市民等は、平然として戦争に赴く。誰一人逃げようなどとするものはない。彼等は彼等の義務を尽くす。けれども勝利に対する熱望はもっていないのである。彼等は勝つことよりも死ぬことを知っている。勝敗などは、彼等に何の関するところがあろう。彼等のなすべきことは、彼等自身よりも神がよく知っているではないか? 彼等の超世主義ストイシスム に対して、尊大、大胆にして勝利の熱望に燃える敵が如何に有利な立場にあるかを想像して見るがいい。彼等に対して、名誉と祖国とに対する熱愛に燃えている高貴な国民を向わせて見るがよい。諸君のキリスト教共和国が、スパルタあるいはローマと対戦すると仮定して見るがよい。敬虔なるキリスト教徒は、気をとりなおすひまもなく、撃破され、粉砕され、絶滅されるであろう。もし助かるとすれば、それは、敵が彼等に対して侮蔑を抱いたからに外ならぬだろう。ファビウスの軍隊の宣誓は、私の考えによると、立派な宣誓であった。彼等は、戦死することも、勝つことも誓わずに、勝って凱旋することを誓ったのである。そしてこの誓いを果たしたのである。キリスト教徒は、決してかようなことをしなかった。彼等はかようなことは、神を試みることだと考えたであろう。

しかしながら、私がキリスト教共和国と言ったのは間違いである。この二つの言葉は互いに相容れぬ言葉である。キリスト教は服従と他力としか説かぬ。キリスト教の精神は暴君にあまり都合がよすぎるので、たとえ暴君がそれにつけこんでも、暴君は必ずしもこれを利用しているとは言えないくらいである。真のキリスト教徒は、奴隷になるようにつくられているのである。彼等はそれを知りながら平気でいるのである。この短い人生は、彼等の注意をひくにはあまりに無価値すぎるのである。

キリスト教徒の軍隊は優秀な軍隊であると言うものがある。私はそれを否定する。願わくはその証拠を示して貰いたいものだ。私は、そもそもキリスト教徒の軍隊なるものを知らないのである。十字軍がそうだという人があるかも知れぬ。十字軍の勇気は勿論認めるが、私は十字軍なるものは、決してキリスト教徒ではなくて、あれは、僧侶の軍隊であり、教会の市民の軍隊であったということを指摘する。彼等は、心霊の国のために戦ったのであるが、教会は、この心霊の国を、どうしてか、現世の国にしてしまっていたのである。これはよく注意して解すれば、異教にはいるものである。福音教は、国民の宗教を設けないから、キリスト教徒の間においては、神聖戦争は全く不可能である。

異教徒の皇帝の下においては、キリスト教徒の軍隊は勇敢であった。全てのキリスト教国の学者はそれを認めているし、私もそれを信じている。それは異教徒の軍隊に対する名誉の競争であったのだ。皇帝がキリスト教の信者になるや否や、この競争はなくなり、十字架がローマの鷲の国旗を追い払った時には、ローマ人の勇気は全く消え失せてしまったのである。

しかしながら、政治上の考察はしばらく措いて、権利の問題にかえり、この重要問題に関する原理を定めよう。社会契約が主権者に与えている、臣民に対する権利は、私が前に述べたように、公共のために利益であるという限界を越えぬのである。〔註〕故に、臣民が、その意見に対して主権者に責任を負う場合は、その意見が、国家に重大な関係をもっている場合に限られている。しかるに、国家は各市民に、彼の義務を愛させるような宗教を、各市民にもたせることが大切である。ところが、この宗教の教義は、この宗教を信ずる人が、他人に対して果たすべき道徳や義務に関する場合の外は、国家にも、その構成員にも無関係なのである。各人は、その他に、自分の好きな意見をもってもよいのである。そして主権者は、それに関知しなくともよいのである。何となれば、主権者は、未来の世界においては何の権限ももっていないから、来世における臣民の運命がどうであろうとも、それは主権者の知ったことではないのである。主権者にとっては、ただ、現世において、その臣民が善良な市民でさえあればよいのである。

〔註〕ダルジャンソン侯爵は「共和国においては、他人を害しない限りにおいて各人は完全に自由である」と言った。これは万代不易の限界である。これ以上正確な制限を設けることは不可能である。私は、朝に立つに及んでも真の市民の心を失わず、自国の政府について、正しい建全な見解を持していた、この高名な尊敬すべき人を記憶するために、一般には知られていないけれども、この人の草稿から、時々引用するの喜びを禁ずることができなかった。

それ故に、主権者が細目を決定すべき、純然たる市民的の信仰宣誓なるものがある。但し、主権者が、その細目を決定するのは、宗教の教義としてではなくて、善良なる市民たり、忠実な臣民たるために必要欠くべからざる社会的感情としてである。〔註〕主権者は、これを信ぜよと何人にも強制することはできないけれども、これを信じない者は何人たるを問わず、国家から放逐することができる。しかし、主権者が彼を放逐するのは、不信者としてではなくて、非社会的な人間としてである。心から法律を愛することができず、正義を愛することができず、必要にのぞんで生命を義務のために犠牲にすることのできない者としてである。もし、この教義を公けに認めながら、これを信じないもののような行為をする者があった場合には、かかる人を罰するには、死をもってすべきである。かかる人は最大の罪悪を犯したのである。即ち法律の前に偽ったのである。

〔註〕シーザーは、カティリナを弁護して、霊魂は滅びるという教義を唱えようとした。カトーとキケロとは、これを論駁するために、理屈をひねくったりせずに、シーザーの言は不良なる市民の言であって国家に有害な説を唱えたということを示すだけで満足した。実際ローマの元老院の審判すべき問題は、その点であって、神学上の問題ではなかったのである。

市民宗教の教義は、単純で、その細目は少なく、明確に言い表わされていて、説明や註解のないものでなければならぬ。全能、全知、慈悲、先見、仁徳なる神の存在、来世の生活、正義の人は栄え、悪は滅ぶること、社会契約並びに法律の神聖、以上が、その積極的教義である。消極的教義に至っては、私はそれをただ一つに限る。それは即ち異教排斥アントレランスである。この異教排斥は、我々が排斥した宗教に属するものである。市民的の異教排斥と神学上の異教排斥とを区別する人々は間違っていると私は考える。この二つの異教排斥は別つべからざるものである。神に呪われていると信ぜられている人々と平和に暮してゆくことは不可能である。彼等を愛するのは、彼等を罰した神を悪むことである。かかる人は、再び信仰に立ち返らせるか、しからざれば、これを苦しめることが絶対に必要である。神学的の異教排斥が許されているところでは、必ずや、それは何等かの市民的効果をもたざるを得ない。〔註〕しこうして、これが効果をもつや否や、主権者は、もはや主権者ではなくなる。俗界の主権者でもなくなる。この時から、僧侶が真の支配者となり、国王は僧侶の役人に過ぎなくなる。

〔註〕たとえば、結婚は、市民的契約であって、市民的効果をもっている。この効果なくしては、社会の存続さえも不可能になる。ところがこの結婚を許す権利は、異教排斥の宗教においては、必然的に僧侶が僭奪するのであるが、今この権利が、ある僧侶の独占に帰したと仮定すれば、その時には、僧侶は教会の権威を強くして政府の権威を無力にし、政府は、僧侶がそれに与えようと思うだけの臣民しかもたなくなることは明白ではないか? 人々がかくかくの教理を信じていると否とにより、彼等がかくかくの儀式を承認するかしないかにより、彼等の信仰の厚薄により、これ等の人々を結婚させるのも結婚させないのも、教会の方寸の中で決せられることになれば、彼は慎重着実に事に処してゆくことにより、遺産、官職、市民、更に進んでは、国家そのものさえも思うままに処理し得るに至ることは明かではないか? けだし国家は、私生児のみでできているとすれば、存続してゆくことができないからである。けれども、職権濫用の名によりて控訴し、召喚し、拘引し、教会の収入を差押えることができるという人があるかも知れない。あわれむべき考えだが僧侶は、ほんの少しばかり、勇気とは言わぬ、ただ常識もっていれば、平気でそんなことはさせておくだろう。彼は平然として控訴され、召喚され、拘引され、差押えられるだろう。そして、依然として支配者たることを失わぬだろう。確実に全部を手に握っている時には、一部分を放棄するのは、大なる犠牲だとは、私には思われない。

今日では、もはや、排他的の国教はなく、またあり得ないから、我々は、その教義が市民の義務と矛盾しない限り、他の宗教を寛容する宗教はすべて寛容すべきである。けれども教会の外に済度なし、などと説く者は、何人たるを問わず、国外に放逐すべきである。けだし、国家が教会でなく、帝王が司教でない限り、それは当然の処置である。かかる教義は、神政政治以外には適しないものである。それ以外の政治にはことごとく有害である。アンリ四世がローマ旧教を認容した理由であると言われている理由は全ての廉直の士、就中なかんずく、物の道理をわきまえた全ての帝王をして、ローマ旧教を放棄せしむる理由たるべきである。