宇宙戦争 第二部 火星人に支配された地球, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

破壊された家から目にしたもの


食事の後で私たちは食器洗い場へと這って戻った。そこで再び眠ってしまったに違いない。気がついてあたりを見回すと私はひとりだった。重低音の振動は飽き飽きするほどしつこく続いていた。何度か牧師補にささやきかけた後で私は台所のドアに向かって手探りで進んでいった。日はまだ沈んでおらず、部屋の向こうに彼がいるのが見えた。火星人のいる方向に開いたあの三角形の穴にとりついてうずくまっている。背を丸めているので彼の頭は私から見えなかった。

機関車庫のような物音がたくさん聞こえ、打ち鳴らされる重低音で部屋は揺れていた。壁の穴からは金色と暖かい青色に染められた穏やかな夕空を背にした木々の枝先が見えた。しばらく私は牧師補を見守り、それから身をかがめて床に散らばる陶器の破片の中をひどく慎重に歩いて進んだ。

牧師補の足に触れると彼は飛び上がって振り向き、大量のしっくいが外に滑り落ちて大きな音をたてた。彼が叫び声を上げるのではないかと恐れた私は彼の腕をつかみ、長い間、私たちは身じろぎもせずにうずくまっていた。それから私は周りを見回して身を守る壁がどれだけ残っているかを確認した。剥がれ落ちたしっくいはがれきに縦の裂け目を残していた。差し込む光の中に慎重に体を起こしてこの裂け目から外を覗くと静かな郊外の道路に昨晩何が起きたのかが見て取れた。何と大きな変化だったことだろう。

五番目の円筒が落ちたのは私たちが最初に訪れた家のまさにどまんなかだった。建物はその一撃によって完全に打ち砕かれ粉々になって消え去っていた。今、円筒は元あった基礎のはるか下に横たわっている――私がウォーキングで覗き込んだ穴よりもずっと大きな穴の奥深くだ。周囲の大地はこのとてつもない衝撃によって吹き飛び――「吹き飛び」としか形容しようがない――山のように積み重なって近隣の多くの家々を隠していた。ちょうど強烈なハンマーの一撃を受けた泥のようだった。私たちのいる建物は背後が崩れ落ち、一階の正面部も完璧に破壊されていた。台所と食器洗い場は幸運にも難を逃れ、土とがれきの下に埋もれて残っていた。円筒を中心にして吹き飛んだ大量の土砂に閉じ込められた形だ。俯瞰してみると私たちは今、火星人によって作り出された巨大な円形の穴のふちの近くにしがみついている状態だった。重い打撃音は明らかに後方で起きていて、鮮やかな緑色の蒸気がまるで覗いている穴にかかるベールのように繰り返し立ち昇っていた。

穴の中心で円筒はすでに開いていた。穴の反対側のふちには打ち倒されてがれきに埋もれた低木に囲まれて、操縦者に乗り捨てられたあの巨大な戦闘マシンの一体が夕方の空を背景に硬直してそびえ立っていた。最初のうち、私は穴や円筒にはほとんど注意が向かなかった。それらについて最初に書いたのはたんに行きがかり上のことだ。なぜ注意が向かなかったかといえば、光り輝くとてつもない機械が忙しく穴を掘る様子が見え、さらにその近くに積み上げられた土砂の上をゆっくりと苦しげに這い進んでいる奇妙な生き物がいたためである。

一番初めに私の注意を奪ったのがその機械であったことは間違いない。今ではハンドリング・マシンと呼ばれている複雑な構造を持つもののひとつで、これに対する研究は地球の発明に対してすでに非常に大きな影響を与えている。最初にその存在に気がついた時にはそれは関節のあるすばやく動く五本足を持った金属の蜘蛛のように見えた。さらに体の周囲にはとてつもない数の、関節を持つレバーやバー、伸び縮みする触手を備えていた。その腕のほとんどはしまわれていたが、三本の長い触手が無数の梁材や平板、棒材を持ち上げていた。円筒表面に配置されていたそれら素材は明らかに円筒の壁面を補強していたものだ。抜き取られたそれらは吊り運ばれて背後の地面に積み上げられていた。

もやの向こうで触手がうごめく。

その動きがあまりに機敏かつ複雑で完璧なものだったのでその金属的な光沢にも関わらず最初、私はそれが機械だとは思わなかった。あの戦闘マシンもとてつもないレベルで協調した生気あふれる動きをしたが、それとは比べ物にならない。こんな構造物はこれまで誰も見たことがないだろうし、画家による貧弱な想像力か、私自身が今おこなっているような目撃者による不完全な説明でかろうじて生き物に似たその性質を知ることができるだけだろう。

この戦争全体について説明した初期のパンフレットのひとつのイラストを私はとりわけよく思い出す。それを描いた画家は明らかにあの戦闘マシンについて聞きかじっただけでそれ以上の知識はなかった。戦闘マシンは傾いたぎこちない三本足で描かれていてそこには柔軟性も繊細さもなく、ひどい誤解を誘う単調なものだった。こうしたイラストのパンフレットはかなり流行していた。私がここでそれらについて述べたのはパンフレットが作り出したこうした印象について読者に強く警告するためである。私が実際に目にした火星人と描かれたそれは人間とオランダ人形ほども違う。こうしたイラストが無いほうがパンフレットはずっと良いものになっただろうと個人的には思う。

最初、ハンドリング・マシンは機械というよりは光沢のある外皮を持ったカニに似た生き物のように思われたと私は言った。その動きを繊細な触手で操縦する火星人はちょうどカニの脳の部位に相当するように思われた。しかし直後にその灰褐色で光沢のある固い外皮が向こうで這いずる別の個体とよく似ていることに気がつき、私はこの器用な作業者の正体を理解したのだ。そして私の興味はこの生き物、すなわち火星人本体へと移っていった。すでにやつらに対するおおまかなイメージは持っていたので最初に感じた強い嫌悪が観察の邪魔をすることはなかった。さらに言えば今回は身じろぎせずに隠れていたので即座に行動を取る必要もなかった。

目に映るやつらは考えられる限りで最も地球上の生物からかけ離れていた。大きな丸みのある身体――というよりは頭だろうか――の直径は四フィートほどで、それぞれ前に顔がある。その顔には鼻の穴が無かった――従って火星人には嗅覚がまったく存在しないように思える。しかし一対の非常に大きな暗い色の目を持っていて、そのすぐ下に肉質のくちばしのようなものがあった。頭、もしくは体――私にはどう呼べばいいかわからない――の背面は均一で張り詰めた太鼓の表面のようでそれが耳であることがすぐにわかった。とはいえ、それが地球の濃い大気の中ではほとんど使い物にならないことは間違いない。口の周りの部位には十六本の細い、鞭のような触手が二本一組でそれぞれ八組並んでいる。著名な解剖学者ハウズ教授によってこの触手の房は『腕』であると説明されているがこれは極めて適切である。初めて私が火星人を見たときにはやつらがこの腕で自身を持ち上げようと奮闘しているように見えたのだが、もちろん地球上で増加した自重に対してそれは不可能なことだった。火星であればこの腕でもそれなりの歩行ができるのだろうと考えられる。

解剖によって明らかになった内部の生体構造も同じように単純なものだったことをここで述べておこう。その構造のほとんどは脳であり、膨大な量の神経が目、耳、触覚を持つ触手へとつながっている。それ以外は開かれた口へと続く体積の大きい肺、そして心臓と血管があるだけである。濃い大気と大きな重力によって肺に負担が生じていたことは外皮の痙攣を見るだけで明らかだった。

そしてこれが火星人の体組織の全てなのである。非常に複雑な消化器官を持ち、それが体の大部分を占める人間からすると消化器官が火星人に存在しないのは奇妙に思えるだろう。やつらは頭部そのもの――頭部しかないのだ。内臓を持たないのである。何かを食べたり、まして消化したりなどしないのだ。代わりに他の生き物の新鮮な生き血を摂取し、それを自身の血管へと注入するのである。私自身もその光景を目にしたことがある。それについてはしかるべきところで述べよう。しかしあまりの気分の悪さに観察を続けることさえ耐え難く、それについて十分な説明をすることは私にはできない。ただ、まだ生きている動物、ほとんどの場合は人間から取り出された血液が小さなピペットによって直接、受血者の血管に流し込まれた、ということを述べれば十分だろう……。

火星人は人間の血をすするのである。

こうした概略は間違いなく私たちにひどい嫌悪感を抱かせるものだが、同時に私は考えてしまうのだ。私たちの食肉習慣は知性のあるウサギにとってどれほど嫌悪を抱かせるものなのか考えてみる必要があると。

血液注入という行動の生理学上の利点は否定しようのないものだ。それは食事とその消化過程において人間が膨大な時間とエネルギーを浪費していることを考えれば明らかである。私たちの体の半分はさまざまな成分からなる食べ物を忙しく血液へと変える分泌腺と消化管と臓器からなっているのだ。この消化過程と神経系に対するその反応は私たちの体力を奪い、精神に影響を与えている。人間が幸福か不幸かは健康な肝臓を持っているかどうか、あるいは健康な胃液線を持っているかどうかに従って決まるのだ。しかし火星人はこうした内臓による気分と感情のゆらぎをまったく超越したところにいるのである。

栄養源として人間を好むという否定しようのないやつらの嗜好は食料として火星から連れてこられた犠牲者の残骸の様子から部分的には説明される。人間の手に落ちた、しなびた残骸から判断するとこの生き物はもろい珪素の骨格(珪質海綿のそれに極めてよく似ている)と脆弱な筋肉を持った二足歩行動物で、体高は六フィートほど、丸く隆起した頭と硬い眼窩に収まった大きな目を持っている。各円筒ごとに二、三体のこの生き物が積み込まれていたようで全て地球到着前に殺されていた。地球上で直立しようと試みただけで体の全ての骨が砕けてしまうであろうことを思えば彼らにとってはその方が良かったのだろう。

ここで私はかなり詳細な部分まで付け加えて説明をおこなった。私たち全員がここで述べたようなことを当時、知っていたわけではない。しかしこうしておけばやつらについてあまり知らない読者もこの有害な生き物についてのより鮮明なイメージを形づくることができるだろう。

他に三つの点においてやつらの生理機能は私たちのものとは異様なほど異なる。ちょうど人間の心臓が眠ることがないのと同様、やつらの肉体組織は眠らない。回復を必要とする筋肉機構をほとんど持たないために、こうした定期的で完全な休息はやつらの知るところではないのだ。疲労を感じることはわずかにしかないか、あるいは完全にないようである。地球上では多大な労力無しにはまったく動けないが、しかし活動し続けることができるのである。地球上であればおそらくは蟻がそうしているのとちょうど同じ具合に、二十四時間あれば二十四時間分の働きをおこなうのだ。

次に、性的な世界ではすばらしいことのように思われるのが火星人には性別がまったく無く、従って人間とは異なりそこから生じる激しい感情がまったく存在しないことだ。今では議論が決着しているがこの戦争の間に地球上では幼い火星人が生まれていて、それはその親に繋がった状態で見つかった。その様子は植物の芽吹きに似ている。ちょうど若いユリの球根が芽吹く時か、あるいは淡水の中でポリプとして生まれる動物のようだ。

地球に住む動物の中でも最も高等な人間ではこうした増殖方法は消失しているが、地球でもこの方法は非常に原始的なものとして存在している。下等な動物でいえば脊椎動物の最も古い分岐までさかのぼる被嚢類は二つの過程を交互に繰り返している。しかし最終的には有性的な方法がその競争相手と完全に取って代わった。しかしながら火星ではちょうどその反対の事態が起きたようだ。

科学に準じた作品を書く空想作家のひとりに、火星人侵略のずっと以前に実際の火星人の実態とそう大きく変わらない最終構造を持った人類について予測した者がいたことは記録しておく価値がある。私の記憶ではその予言がおこなわれたのは一八九三年の十一月か十二月のことで、ずっと以前に廃刊されたポール・モール・バジェット誌でのことだった。火星人のことが起きる以前に描かれた「ポンチ絵」と呼ばれるそいつの戯画を私は憶えている。作家は――馬鹿馬鹿しいおどけた調子の文体で――機械機器が完璧なものになれば最終的に四肢は消失するに違いないと指摘していた。究極の化学装置である消化器官もそうだ。髪の毛や外鼻、歯、耳、顎ももはや人間にとって不可欠なものではなくなる。そして自然選択の傾向は将来、漸次的縮小という方向に向かうことだろう。ただ脳だけが真の必要に迫られて残るのだ。他の体の部位で残る可能性が高いのは「脳の教師であり代理人」たる手だけである。体の残りの部分が萎縮していく一方で手はより大きくなっていくことだろう。

この戯言には多くの正鵠を射た内容があり、火星人を見れば知性によって肉体の動物的側面が抑制された時にどのような結果となるのかを議論の余地無く知ることができる。私には、火星人がおそらくは私たちとそう変わらない生物の子孫であること、体の他の部分を犠牲にして脳と手(後者はついには二房の繊細な触手へと変わった)を次第に発達させてきたことが実に自然に思えた。もちろんのことだが体を失えば脳は純粋に利己的な知性へと変化するだろう。人間の持つ感情的基盤を一切、欠くようになるのだ。

こうした生物たちの体系と私たちのそれとの違いの最後の際立ったものは非常にささいに思えるかもしれない。それは微生物、地球上においては実に多くの病気と苦痛を生み出してきたそれが火星では一度も生じなかったか、あるいは火星人の衛生学によってずっと以前に消滅させられていたことだ。人間の生活におけるあらゆる熱病と伝染病、肺結核による衰弱、がん、腫瘍やそれに類した症状はやつらの生活には決して押し入ってはこないのだ。そして火星の生命と地球の生命の間の違いに関して言うとあの赤い草の持つ興味深い意味についてここで説明しておいた方がいいだろう。

どうも火星の植物界でとられる支配的な色は緑色ではなく鮮やかな血のように赤い色合いらしいのだ。いずれにせよ、火星人がもたらした種子(それが意図したものだったにせよ、偶然のものだったにせよ)から芽吹いたのは全て赤い色の植物だった。しかしながら、あの赤い草について一般に知られていることはそれが地球上の植物との競争においていくらかの地歩を固めていたことだけである。あの赤い蔓性植物が繁茂したのはほんのつかのまのことだったのでそれが茂る様子を目にした人間は少なかった。とはいえ、しばらくの間、あの赤い草は驚くべき勢いと豊かさで育ったのだ。私たちが閉じ込められてから三、四日目には穴の側面に広がり、そのサボテンに似た枝が私たちの覗く三角形の窓の縁に濃赤色の縁取りを形作った。後になって知ったことだが草は全国、とりわけ水の流れがあるところ全てに広まっていたのだった。

火星人は頭だけの体の背中にひとつの丸いドラム状の聴覚組織のように見えるものを持っていた。また目の可視範囲は私たちのそれと大きくは違わないが、フィリップスによればやつらには青と紫が黒として見えるという点だけが異なる。やつらは音と触手の動きでコミュニケーションをとっているのだという推測は広く共有されている。例えば、すでに私が示してみせた優れてはいるが大急ぎで編集された(火星人の振る舞いを明らかにその目で見たことのない者によって書かれた)パンフレットではそのように断言されていて、それが今のところはやつらに関する主要な情報源となっている。今では、私のように動いている火星人を十分に観察した生き残りの人間はいないのだ。この偶然を誇るつもりはないがこれは事実である。私が強く主張しておきたいのは私が何度も何度もやつらを間近で観察したということ、そして四、五体から(ときには)六体ものやつらが一緒になって緩慢な動きで非常に注意を必要とする複雑な作業を音も身振りも無しにおこなっているのを見たということだ。食事の前には必ずやつら特有の叫び声が上がった。叫び声にはなんの調子も無く、私が思うところでは合図としての意味も無く、たんなる吸気動作の前の空気の放出でしかなかった。少なくとも心理学の初等的な知識に関しては私に一応の知見がある。そしてこの問題に関して言えば火星人は思考を何ら物理的な媒介無しにやりとりするのだと私は――何よりも固く――確信している。そして私は以前持っていた強固な考えに反してこの確信を得るに至ったのだ。読者の中には憶えている方もいるかと思うが火星人の侵略以前、私は少々強い調子でテレパシー理論へ反対する論文を書いている。

火星人は衣服を着ない。装飾と礼儀作法に対するやつらの概念は私たちのそれとは必然的に異なっているのだ。温度の変化に対する敏感さは明らかに私たちよりも少なく、また気圧の変化もその健康に深刻な影響を与えてはいないように見える。衣服は着ていないがそれとは別の肉体にまとった人工的装備で人間を大きく超える力を得ている。私たち人間が手にしている自転車、ローラースケート、リリエンタール式滑空機、銃やこん棒といったものは火星人が成し遂げた進化の最初期のものに過ぎないのだ。やつらは実質的に脳だけに変わり、必要に応じてさまざまな肉体をまとうのである。ちょうど人間が布のスーツを着込み、急いでいるときには自転車に乗り、雨の時には傘をさすのと同じことだ。やつらの器具で人間を最も驚かせるのは、人間の作るほとんどの機械装置が持つ主要機構が存在しないことだろう――つまり車輪が存在しないのだ。やつらが地球に持ち込んだ全てのものを見てもやつらが車輪を使用している痕跡やそれを示すものがないのである。移動においては少なくともそうしたものがあると予測するのが当然だろう。関連して言えばこの地球の自然界においても車輪がまったく見つからず、その発展過程において別の手段が好まれていることは述べておくに値する興味深い事実である。(信じがたいことであるが)火星人は車輪を知らないか、あるいはそれを使うことを止めたのだ。それだけでなくひとつの平面内で閉じた回転動作をおこなう固定旋回や相対固定旋回を自らの装置で極めてわずかしか使っていない。機械の関節はほとんどすべてスライド式部品からなる複雑なシステムでできていて、それが曲線状の小さくて美しい摩擦軸受上を動くのだ。この問題についてさらに詳しく語れば、やつらのマシンの長い梃子状の装置は大抵の場合、伸縮性のある鞘に収まった複数の円盤からなる模造筋肉のようなもので駆動されている。作動時にはこの複数の円盤が電流によって分極化して強く、緊密に寄り集まる。こうしたやり方によって奇妙なほど動物じみた動きが実現され、それが観察する人間の目を捉えて動揺を引き起こすのである。開いた円筒を見守っているときに私が裂け目から最初に覗き見た、あのカニのようなハンドリング・マシンにはこの疑似筋肉が多く使われていた。それは生き物に限りなく近く見えた。太陽の下でそいつに乗り込んだ実際の火星人、息を切らして無力な触手を振り回しながら宇宙空間を越える長旅の後で弱々しく動き回る火星人よりもずっと生き物らしく見えたのだ。

太陽光の下でいまだ私がやつらののろのろとした動きの観察を続け、その形態の奇妙な細部を観察していると牧師補が私の腕を乱暴に引いてその存在を私に思い出させた。振り向くと押し黙って不満げに唇を結んだしかめっ面が見えた。そして彼が火星人見物の特権を楽しんでいる間、やつらを観察するのを差し控えなければならなくなったのだった。

再び観察に戻った時、忙しく動き回るハンドリング・マシンはすでにいくつかの装置の部品を円筒から取り外し、ハンドリング・マシンそれ自体と見まごうこと無く似た形にまとめ終えていた。左の下の方を見ると忙しく動き回る小さな採掘機械が視界に入った。緑色の蒸気の噴流を上げながら穴の周囲で作業しているようで、整然とした精緻なやり方で採掘と土盛りをおこなっている。規則正しい拍動音をたてているのはこいつで、そのリズミカルな衝撃が私たちのいる破壊された隠れ家を揺らしていた。作業をしながらそいつは甲高い音や笛のような音をたてている。私が見た限りではその物体には命令を与えている火星人はまったくいなかった。


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