宇宙戦争 第二部 火星人に支配された地球, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

パトニー・ヒルにいた男


その夜はパトニー・ヒルの頂上に建つ宿屋で過ごした。整えられたベッドで眠ったのはレザーヘッドへ避難して以来、これが初めてのことだった。建物に押し入る時の不必要だった面倒――後で表玄関に鍵がかかっていないのを見つけたのだ――や食べ物を求めて全ての部屋を漁り、絶望のふちに追いやられる寸前で使用人の寝室と思われる部屋でネズミのかじった跡のあるパンの耳とパイナップルの缶詰め二缶を見つけた時のことについては語るつもりはない。その場所はすでに荒らされて何も無い状態だった。後になってカウンターのところで見過ごされたビスケットとサンドイッチをいくらか見つけた。後のものは腐敗が進みすぎていて食べられなかったがビスケットは空腹を満たしてさらにポケットに多少の蓄えができた。ランプに火はつけなかった。夜のうちに火星人が食料を求めてロンドンのこのあたりに襲来することを恐れていたのだ。眠りにつくまで私は間を置いては休みなく動き回り、窓から窓へ飛び回ってあの怪物どもの存在を示すものがないかをうかがった。眠りは浅かった。ベッドに横たわっても気がつくと際限なく考えごとをしていた――思い出すことのできない、牧師補との最後の口論の後で自分がやったことについて私は考えた。あの出来事の後、私の精神は急速に流れていくぼんやりとした感情の連続かある種の痴呆状態にずっとあった。しかし食事をとったためだろう。その夜、私の頭脳は力を得て、再び明瞭になり私は考えることをしたのだ。

頭の中では三つのものがその場を巡って争っていた。あの牧師補の殺害、火星人の居場所、そして妻がどのような運命をたどったのかだ。最初のものについて考えても恐怖の感情や後悔の念は浮かばなかった。たんなるひとつの出来事というだけで、実に嫌な記憶ではあったが悔恨の念はまったく無かった。当時も今も自分がどんな状態だったかについてはわかっている。一歩一歩あのすばやい一撃へと向かって駆りたてられていた。牧師補の一連の振る舞いは不可避にあの出来事へと突き進んでいた。非難される筋合いは無いと感じたが、それでも記憶は静かにじっと私に付きまとった。夜の静けさの中で、ときおり静寂と闇の中に現れる、神が近くにいるという感覚とともに私は審判に、私だけの審判に立った。天罰と恐怖の瞬間だった。自分のそばにうずくまって私の喉の渇きにも無関心にウェーブリッジの廃墟から上がる炎と煙を指差す彼を見つけた瞬間から始めて、私は彼とした全ての会話をひとつずつ思い出していった。私たちは相容れなかった――恐ろしい事態にあってもその事実は無視し続けられたのだ。もし前もってわかっていればハリフォードで彼とは別れたはずだ。しかし私にはわからなかった。罪とは前もってわかっていながらそれをおこなうことである。私はこの出来事を、この物語の他の全てと同じようにあるがままに書き留めておく。目撃者はいなかった――こうした出来事の全てを隠しておくこともできるだろう。しかし私は書き留めておく。読者は好きなように判決を下すに違いない。

横たわる体の光景をなんとか脇に追いやって、私は火星人の問題と妻の運命に向き直った。前者に関しては何の情報も持ち合わせていなかった。想像できる事態は百もあるだろう。そしてあいにくそれは後者についても同じだった。突然、夜が恐ろしいものに変わった。気がつくと私はベッドの上に座って暗闇を見つめていた。気がついた時には私はあの熱線が唐突に、痛みを与えること無く彼女を襲ってその存在を消し去ったことを祈っていた。祈ったのはレザーヘッドから引き返した夜以来のことだった。私は祈りの言葉を唱えた。心からの祈りの言葉だ。かつて窮地に陥った時には異教徒の呪文のように祈ったが、今度の祈りは正気を保った確固とした訴えだった。神のいる暗闇と向き合って私は祈った。なんと奇妙な夜だったことか! とりわけ奇妙だったのは夜が明けるやいなや、神と対話していたこの私が、まるで隠れ家を抜け出すネズミ――ちっぽけな生き物、劣った動物、主人の何気ない思いつきによる行いで狩り出され殺される存在――のようにその家から這い出したことだ。おそらくは彼らも強く神に祈ったことだろう。何はともあれ、私たちがこの戦争から学んだのが憐れみであることは間違いない――私たちの支配に苦しむあの知恵無き魂への憐れみである。

明るく晴れわたった朝で東の空は薄桃色に柔らかく輝き、黄金色の雲がわずかにたなびいていた。パトニー・ヒルの頂上からウィンブルドンへ向かって走る街道には日曜の夜、戦闘が始まった後にロンドンの方向から流れて来たに違いない混乱した群衆の哀れな痕跡が無数に残っていた。ニューモールデンの八百屋・トーマス・ロブと名前が彫られた小さな二輪荷車が停まっているが、その車輪は壊れ、金属製のトランクが放置されている。踏み潰されて泥に固まった麦わら帽子もあった。ウェスト・ヒルの頂上にはひっくり返った水桶の周囲に血で染まったガラスが大量に散らばっていた。私の動きは鈍く、計画は漠然としたものだった。妻を見つけられる可能性は極めて低いとわかっていたが私はレザーヘッドへ行こうと考えていた。死が唐突に襲いかかったのでなければ従兄弟一家と彼女がその場所から避難していることはまず間違いない。しかしそこに行けばサリーの人々がどこに避難したのかわかるのではないかと思われた。自分が妻を見つけ出したいと思っていること、彼女と人間の世界のことを思うと心が痛むことはわかっていたが、どうやれば探し出すことができるのかについてははっきりした考えは無かった。そしてまた自分が強烈な孤独を感じていることも痛いほどよくわかった。角を曲がり、深い木々や茂みの下を私は遠く広がるウィンブルドン共有地の境界に向かって進んでいった。

黒く広がる土地は黄色いハリエニシダやエニシダでところどころ明かりが灯ったようになっていた。赤い草は見当たらず、開けた土地の境界を決心がつかずにうろうろしている間に太陽は高く昇り、あたりは光と活気に満ちた。木々の間の沼地ではたくさんの小さなカエルが盛んに泳いでいるところに出くわした。よく見るために私は立ち止まって、生きようとする彼らの頑健な意志から教訓を得た。しばらくすると不意に誰かに見られているというおかしな感覚を覚え、低木の茂みの中でかがんでいる何かに私は気づいた。目を離さないようにして私は立ち上がった。それに向かって歩を進めるとそいつが立ち上がった。それは短剣カトラスで武装した男だった。私はゆっくりと彼に近づいていった。相手は私を見つめて黙ったまま動かずに立っていた。

近づいていくと彼が私自身と同じようにほこりと汚れにまみれた服を着ていることがわかった。彼の見かけはまさに排水溝を引きずられたようだった。さらに近づくと乾いた泥の淡褐色とそれに混じる緑色のヘドロ、光沢のある石炭のまだらが見分けることができた。黒い髪は目にかかり、その顔は黒く汚れて沈んでいた。そのせいで始め私は彼が誰かわからなかったほどだ。顔の下の方に赤い切り傷があった。

「止まれ!」十ヤードほどのところまで近づいた時、相手が叫んだので私は止まった。その声はしわがれていた。「どこから来た?」彼が言った。

相手を観察しながら私は考えた。

「モートレイクからです」私は答えた。「火星人がやつらの円筒の周りに作った穴の近くで生き埋めになっていたんです。そこからなんとか逃げ出して来ました」

「このあたりに食べ物は無い」彼が言った。「ここは俺の縄張りだ。この丘から川まで、それとクラパムまで、それから共有地の境界まで全部だ。ひとり分の食べ物しかないんだ。あんたはどっちに行くんだ?」

私はゆっくりと答えた。

「わかりません」私は言った。「十三日か、十四日かの間、壊れた家の中で生き埋めになっていたんです。何が起きたのかもわからないのです」

彼は疑うように私を見て、それから表情を変えて動き出した。

「ここに留まりたいとは思っていません」私は言った。「レザーヘッドへ行きたいと思ってるんです、妻がそこにいたはずなので」

彼が人差し指を突き出す。

「あんたか」彼が言った。「ウォーキングから来たやつだろう。ウェーブリッジで殺されたんじゃなかったのか?」

同時に私も彼が誰かわかった。

「私の家の庭に入ってきたあの砲兵じゃないですか」

「良かった!」彼が言った。「俺たちは運が良かったんだな! あんただとは!」彼が手を差し出し、私は握手した。「排水路を這い回ってたんです」彼が言う。「だけどやつらは全員を殺したわけじゃありませんでした。やつらが去った後でウォルトンに向かって戦場を進んでいったんです。だけど――全部合わせても十六日も経たないのに――あなたの髪は白髪だらけじゃないですか」不意に彼が肩越しに振り返った。「ただのカラスだ」彼が言った。「今じゃ鳥の気配を感じるようになってしまって。ここは少し開け過ぎています。あの茂みに隠れて話しましょう」

「火星人を見かけますか?」私は聞いた。「というのも這い出してからというもの――」

「やつらはロンドンの向こうへ去りました」彼が答える。「そこにもっと大きい野営地を築いたのでしょう。いつだったかの夜、ここら一帯でハムステッドの方角の空がやつらの放つ光で盛んに輝いてるのが見えました。まるで巨大な都市のようで、まぶしい光の中で動き回るやつらの姿さえ見えました。明け方には見えなくなりました。それからだいたい――やつらを見かけなくなって――」(彼は指を折って数えた)「五日ほど経って、次に見たのは数体で何か大きな物を運びながらハマースミスの方角へ進んでいく様子です。それから一昨日」――彼はそこで言葉を切ってから、実に驚いたという風に続けた――「光だけだったのですが、何かが空に上がっていったのです。やつらは飛行マシンを組み立てたのだと思います。それで飛行を試してみたんでしょう」

膝と手をついた姿勢で私は止まった。私たちは茂みに潜り込んでいるところだった。

「飛行ですって!」

「ええ」彼が答える。「飛行です」

私は枝や葉で囲まれた小さな場所に進み、座り込んだ。

「それじゃあ人類は終わりだ」私は言った。「もしやつらにそんなことができるなら、世界中のどこにでも簡単に行ける」

彼が頷く。

「やつらはそうするでしょう。だけど――そうなればこっちは少しだけ楽になりますよ。それに――」彼は私を見た。「これが人類の限界だと思いませんか? 私はそう思う。私たちは打ち倒され、負けたのです」

私は目を見開いた。奇妙に思われるかもしれないが、私はその事実に思い至っていなかった――彼が口にするやいなやまったくその通りだとわかる事実に。私はいまだ漠然とした希望を持っていたのだ。いや、むしろこれまでの思考の習慣が維持されていたというべきか。彼は自分の言葉を繰り返した。「私たちは負けたのです」その言葉には強い確信が込められていた。

「全ては終わったのです」彼は言った。「やつらが失ったのは一体――たった一体だ。それでやつらは格好の足場を築き、世界最大の国家を無力化したのです。やつらは私たちを蹂躙しました。ウェーブリッジで一体死んだのは偶然だった。それにやつらは先遣隊に過ぎません。やつらは到来し続けている。あの緑の流れ星は――ここ五、六日は見ていないが、毎夜のようにどこかにあれが落ちていることは疑いようもありません。何もできなかった。私たちは敗北した! 負けたのです!」

私は彼に何も答えなかった。前を見つめたまま座り込み、何か反論を考え出そうと無駄な試みをしていた。

「こいつは戦争じゃない」砲兵が言った。「一度だって戦争だったことはありません。人間と蟻の間に戦争なんて起こりようもない」

突然、私はあの天文台で過ごした夜のことを思い出した。

「十発目を打ち上げた後、やつらは打ち上げをしていない――少なくとも最初の円筒が着くまではそうだ」

「どうしてわかるんです?」砲兵が尋ね、私は説明した。彼は考え込んだ。「砲に何か問題が起きたんだ」彼は言った。「だけどだから何なんです? やつらは復旧させるでしょう。それに仮にそれで遅れが出たからといって結末が変わりますか? これは人間と蟻と同じだ。蟻は自分たちの都市を作り、生活し、戦争や革命を起こす。それも人間が蟻を一掃しようと決めるまでのことです。そうなれば消え去るだけのことだ。今の私たちはこれなんです――ただの蟻だ。たんなる――」

「その通りだ」私は言った。

「私たちは食べられる蟻です」

私たちは互いを見ながら座っていた。

「それでやつらは私たちをどうするつもりでしょう?」私は言った。

「それこそ私が考えていることです」彼は言った。「それを考えているんです。ウェーブリッジの後、私は南に向かいました――考えた結果です。何が起きたのか私は目にしました。人々のほとんどは忙しく動き回り、自分自身に対して金切り声を上げて興奮していました。しかし私は金切り声はあまり好きではない。死の場面には一、二度、出くわしました。私は飾り物の兵士じゃない。良くも悪くも死は――たんなる死です。そして生き残るのは考え続けた人間だ。全員が南へ立ち去って行くのを見ました。私は思った『こちらへ進むと食料がもたない』そこで私は引き返したのです。ツバメが人間を追うのと同じように私は火星人を追いました。そこら中で」――彼は水平に手を振った――「山のように人々が餓死し、逃げ回り、互いを踏みにじっている……」

彼は私の顔を見て、気まずそうに言葉を止めた。

「金がある連中の多くがフランスに逃げたことは間違いありません」彼は言った。彼は私に謝ったものかどうかためらっているように見えた。私と目が合って彼は続けた。「ここいらには食べ物があります。店には缶詰めがあるし、ワインや蒸留酒、炭酸水もある。給水管や排水管は空になっています。ええっと、私が言っているのは自分はこう考えたということです。『ここに知的生命体がいる』と。『そしてどうやらやつらは私たちを食料として欲している。まずやつらは私たちを叩きのめすだろう――船や乗り物、大砲、都市、あらゆる秩序と組織。全てやられる。もし私たちが蟻ほどの大きさだったらやり過ごすこともできるかもしれない。しかし実際は違う。やり過ごすには何もかもが大きすぎる。これはまず確実だ』そうでしょう?」

私は同意した。

「そうなのです。私は考え抜きました。いいでしょう、それでは――次です。今のところは私たちはほしいままに捕らえられています。火星人たちはほんの数マイル進むだけで逃げている人々を捕らえられる。以前、ウォンズワースでやつらの一体が家々を引き裂き、廃墟の中を進んでいくのを見ました。しかしやつらもずっとそんなことを続けはしないでしょう。私たちの大砲や船を全て制圧し、鉄道を破壊し、今あそこでやっていることを全て終えたら組織的に私たちを捕らえることを始めるはずです。一番良いやつを選んで、檻か何かに捕らえていくでしょう。今にそうする。幸いなことにまだ始まっていませんがね。わかりますか?」

「まだ始まっていないですって!」私は叫んだ。

「まだ始まっていません。今までのところ起きていることは全て私たちのうちの静かにしていられない者に降りかかっています――大砲やそれに類した愚かしいものでやつらを悩ませている者たちです。それから指導者を失って、今いる場所と安全という意味では大差ない場所へと群れになって殺到している者たちだ。やつらはまだ私たちに手出ししようとは思っていません。自分たちのことにかかずらっています――一緒に持って来れなかったものを全て作り出し、残りの仲間のためのものを用意している最中だ。あの円筒の飛来がしばらく止んでいるのはこちらにいる仲間にぶつかることを恐れてのことである可能性が高い。我を忘れて大騒ぎをして走り回ったり、やつらを吹き飛ばそうとダイナマイトを用意したりする代わりに私たちは新しい状況に従って態勢を立て直さなければなりません。これが私が出した結論の筋道です。これは人間が自分の種の要求に従って出したものではなく、事実が指し示すところなのです。そして私はこの原則に基づいて行動してきました。都市や国家、文明、進歩――こうしたものは全て終わりです。ゲーム終了だ。私たちは敗北したのです」

「しかしもしそうならば、何のために生きていくのです?」

砲兵はしばらくの間、私を見つめた。

「これから百万年ほどの間はもはや楽しい音楽会など存在しないでしょう。王立芸術院、レストランでのちょっと気の利いた食事といったものはなくなる。もしそうした楽しみを追い求めても、ゲームは終わったんです。上流階級のマナーを知っていようと、ナイフでエンドウ豆を食べるのが嫌いだろうと、Hを発音しなかろうと、そんなものは放り捨てた方がいいでしょう。まったく無用の長物なんですから」

「つまり――」

「つまり、私のような人間が生き残るのです――繁殖のために。言っておきますが厳しい生活は覚悟しています。そしてもし私が間違っていなければ、あなたもこれまでに得た経験を試されることになるでしょう。私たちは絶滅はしない。もちろん捕らえられて、大きな雄牛のように家畜化されて肥育されるというわけでもない。ああ! あの茶色の薄気味悪いやつらを想像してみてください!」

「まさかあなたは――」

「その通りです! 私はやつらの足元を縫っていくつもりです。計画は考えてあります。考え抜きました。私たち人間は敗北した。私たちの知識は不十分だ。チャンスを手にするには学ばなければならない。そして学んでいる間、支配されずに生き続けなければいけません。わかったでしょう! これこそがやるべきことなのです」

私は驚いて相手を見た。この男の決意にひどく感動していた。

「なんてことだ!」私は叫んだ。「あなたはたいした男だ!」唐突に私は彼の手を握った。

「おっと!」彼は目を輝かせながら言った。「考え抜いた、そう言ったでしょう?」

「聞かせてください」私は言った。

「そうして、やつらに捕獲されないよう逃げ回るつもりの者は備えをしなければなりません。私はその備えをしているところです。念のため言っておきますが、私たち全員が野生の獣として生きられるわけじゃない。しかしそう努めなければなりません。これこそ私があなたに注目している理由なのです。疑問があるのです。あなたは痩せている。おわかりでしょうが、あなたが元からそうだったのかも、どういった具合に生き埋めになっていたかも私にはわかりません。ここいらの人たち――このあたりに暮らしていたような人々やこの道の先で暮らしていたひどく矮小な事務屋たち――は皆、適しているとは言えない。彼らはまったく無気力だ――壮大な夢も、壮大な熱意も無い。そのどちらか一方さえ持ち合わせていないのです――まったく嘆かわしい! 臆病と心配の他にこうした人には何があるのでしょう? 彼らはただ一目散に仕事へ逃げ出すだけです――朝食を片手に持った彼らを大勢見てきました。仕事をクビになる恐れで夢中になって走っては定期券で狭い列車に飛び乗り、手間を恐れてたいして理解していない仕事で働き、夕食の時間に遅れる恐れで一目散に家へ逃げ帰る。夕食後は裏通りを恐れて引きこもり、結婚相手の妻と眠る。それも相手を求めてのことではなく、世界の中をひとり矮小で惨めに逃げ回るのを安全にしてくれるであろうちょっとしたお金を手にしているためなのです。事故を恐れて保険に入り、少しばかりの株を買う。そして日曜日になるたびに――これからのことを思って恐怖するのです。まるでウサギのための地獄だ! あの火星人たちはこうした人たちにとって天の恵みとなるでしょう。快適で広々とした檻、肥育のための食べ物、注意深い飼育、心を悩ませるようなことは何もない。一週間ほど腹を空かせたまま獲物を求めて草原や大地を走り回った後、自分たちからやって来て喜んで捕まるでしょう。しばらくすれば彼らはまったくの満足状態になることでしょう。彼らは、面倒を見てくれる火星人が現れる前、人間はどう暮らしていたのかと不思議がるようになると思います。そしてあの酒場にたまっていた怠け者や女たらし、歌うたいの連中だ――私には彼らの姿が想像できます。完璧に思い描くことができますよ」暗い満足感を漂わせて彼は言った。「彼らから失われていた情緒と信仰がおおいに取り戻されることでしょう。この目で多くのことを見てきました。おかげでここ数日の間に私ははっきりと理解し始めたのです。ありのままに事態を受け入れる者は大勢いるでしょう――つまり飽食と痴愚です。また、まったく間違っている、何かをしなければならないという感覚に襲われる者たちも大勢いるでしょう。いつであろうとそうしたものなのです。大勢の人々が何かをしなければならないと感じ、気力のない者や入り組んだ考えに溺れて気力を失った者たちは決まって何もしてくれない宗教へとすがる。そうして実に敬虔で超然的になり、迫害や神の意志に屈するのです。あなたもそれを目にしたはずです。それこそが臆病風の力で、それによって全てが拭い去られるのです。檻は聖歌や賛美歌、信仰で満たされることでしょう。そしてそれよりは多少複雑なあるものがちょっとした役目を担うかもしれません――それは何か?――性欲です」

彼は言葉を止めた。

「あの火星人たちが人間の一部を愛玩動物にする可能性は高い。芸を仕込み――どんな芸かはわかりませんが――成長して殺さなければならなくなったペットの少年を思って感傷にひたることでしょう。そしておそらく、人間の中には私たちを狩るための訓練を受ける者もいるでしょう」

「まさか」私は叫んだ。「ありえない! そんなことをする人間は――」

「そんな嘘をついて何になります?」砲兵は言った。「そうしたことを喜んでやる人間がいるんです。そんな者がいないというふりをしたところでまったく無意味だ!」

彼の強い確信に私は頷かざるを得なかった。

「もし彼らが私を追ってきたら」彼が言った。「なんということか。もし彼らが私を追ってきたら!」そうして険しい沈思黙考へと沈んでいった。

私は座って今聞いたことについて考えた。この男の推論に対する反証を見つけることはできなかった。侵略が始まる前であれば、私が彼よりも知的に優れていることに疑問を持つ者は誰もいなかっただろう――私は哲学的テーマについて書く著名な職業作家であり、彼は一兵卒である。しかし私がほとんど理解できていない状況について彼はすでに系統立てて説明できているのだ。

「あなたはどうするつもりです?」私はようやく言葉を発した。「どんな計画を立てているんです?」

彼が言いよどむ。

「つまりこういうことなんです」彼は言った。「私たちは何をすべきか? 私たちがすべきことは人間が生きて子を産め、さらに子供を育てるのに十分な安全性を持った生活のやり方を考え出すことなのです。そうです――ちょっと待ってください。私がやるべきだと考えていることをもっとはっきりとさせましょう。家畜化された人間はあらゆる家畜化された獣と同じ道をたどる。数世代のうちに大きく、美しく、血色が良くなり、愚かになることでしょう――要はごみくずだ! 問題は飼い慣らされない私たちが野蛮になってしまうだろうことです――いわば大きくて獰猛なネズミへの退行です……。おわかりでしょう。私が考えているのは地下で暮らすということなのです。私は排水溝の中で考えていました。もちろん排水溝のことをよく知らない者たちにとっては恐ろしいことでしょう。しかしこのロンドンの地下には何マイルもの――それこそ数百マイルに及ぶ――排水溝がある。ロンドンは無人になっているから何日か雨が降れば排水溝はきれいで居心地が良くなるでしょう。排水溝の主管であれば誰にとっても十分な大きさがあって広々としている。さらに地下室や貯蔵庫、倉庫もあって、そこから排水溝へ抜け道を作れるはずです。それに鉄道のトンネルや地下鉄もある。さあ? わかり始めましたか? そして私たちはチームを組んでいる――健康で丈夫な肉体を持ち、頭脳明晰な人間です。うろついているごみくずは決して拾い上げないようにしなければなりません。弱い者には立ち去ってもらう」

「私に去れと言ったように?」

「ええっと――それについてはもう説明しましたよね?」

「口論はやめておきましょう。話を続けてください」

「この戦いに参加する者は命令に従うことになります。健康で丈夫な肉体を持ち、頭脳明晰な女性も必要だ――母親、そして教師としてです。物憂げなご婦人方やいまいましい短気な者はいりません。弱さや愚かしさを許す余裕は私たちには無い。人生は再び実際的なものになり、役立たずや厄介者、迷惑者は死ぬことになる。彼らは死ぬべきなんだ。いや、死ぬことを望むべきなんです。生き続けて人類を汚すのはまったくの背信行為と言ってもいい。どうせ彼らは幸せにはなれない。さらに言っておけば死ぬことはそれほど恐ろしいことでもないのですよ。悪いことであるように思うのは臆病のためです。それからこの土地で私たちはより集まって暮らさなければなりません。ロンドンが私たちの縄張りになるでしょう。見張りを立てれば、火星人が遠くに離れている時には空の下を走り回ることだってできるでしょう。たぶんクリケットだってできる。こうやって人類を維持していくのです。どうです? 可能じゃないですか? けれど人類を維持していくことそれ自体はまったく無意味です。つまり、それではネズミと変わらないということです。私たちの知識を維持し、それを増やしていくことが重要なのです。そこであなたのような人間の登場だ。本も、模型もある。地下深くに十分に安全な場所を作り、できるだけ多くの本を手に入れます。小説や気の抜けた詩集ではなく、思想書や科学書です。そこでこそあなたのような人間が活躍するのです。大英博物館まで行ってそうした本を全て集めてこなければなりません。とりわけ科学は維持し続けなければなりません――さらに多くを学ばなければ。あの火星人たちの観察もしなければなりません。一部の者はスパイとして働かなければならない。全てがうまく回り始めたら私もそれをやることになるでしょう。つまりやつらに捕まるのです。ここで大事なのは火星人に手を出さないということです。何かを盗むようなことさえしてはなりません。もしやつらの邪魔をすれば私たちは一掃されてしまう。私たちは無害なのだということをやつらに示して見せなければなりません。ええ、わかっています。しかしやつらは知的生命体です。もし自分たちが欲しいものを全て手に入れ、私たちのことを単なる害のない小動物だと考えれば私たちを狩り出そうとはしないでしょう」

砲兵はそこで言葉を止めて茶色の手を私の腕に置いた。

「結局のところ、前もって学ばなければならないことはたいしてありません――想像してください。四、五体のやつらの戦闘マシンが突然、動き出す――熱線が左右に走るが、その中に火星人は乗っていない。乗っているのは火星人でなく人間――操作方法を学んだ人間です。私が生きてるうちにそれが起きることだって考えられる――私たち人間がそれをやるのです。すばらしい事態をひとつ想像してみてください。あの熱線を好き勝手に扱えるんですよ! それを操るところを想像できますか! 最後の最後に粉々に打ち壊したところで、こんな破壊の後で何の問題があるんです? 火星人たちはあの美しい目を見開くことでしょう! 想像できませんか、どうです? 想像できませんか、大慌てのやつらが――やつらの機械装置が火を吹き、吹き飛び、甲高い音を立てるところを? 外装から歯車か何かが飛び出す。シュッ、バンッ、カタカタ、シュッ! やつらが装置を不器用に操る間にもシュッと熱線が走る。そして、ああ見てください! 人間の時代が戻ってくるのです」

しばらくの間、砲兵の想像力あふれる勇猛さと彼が請け合うその確信と勇敢さに満ちた調子が完全に私の心をつかんだ。人類の運命に対する彼の予言とその驚くべき方策が実行可能であることをためらいなく私は信じた。なんと感化されやすく愚かなのかと考える読者は自らの状況と引き比べて見るべきである。読者はこうした彼の考え全体を落ち着いた場所で読んでいるだろう。一方で私は茂みの中で恐怖に震えてうずくまりながら、捕まりはしないかと気もそぞろな状況で聞いているのだ。私たちはこうして話を続けながら早朝を過ごし、しばらくしてから茂みを這い出すと火星人がいないか遠くを見渡した後で彼が隠れ家としているパトニー・ヒルの家へとまっしぐらに急いだ。そこは石炭貯蔵庫だった。そこで彼が一週間を費やした仕事の成果――パトニー・ヒルの排水溝主管へ届くよう計画した十ヤードに満たない横穴――を見た時、彼の夢と彼の能力との間の大きな隔たりを初めて私は予感した。私であればこんな穴は一日で掘れるだろう。しかし私は彼のことを信じ切っていたので彼と一緒になってその朝、昼過ぎまで穴掘りをして働いた。菜園用の手押し車があったので掘り出した土はかまどのあたりに捨てた。隣の食料庫からとってきた代用ウミガメスープの缶詰めとワインで私たちは英気を養った。こうした着実な労働をしているとこの世界のやるせない奇妙さが不思議と和らぐ気がした。働いている間に私は頭の中で彼の計画を思い返してみたが、次第に反論の根拠と疑いがわき上がって来た。しかし午前中の間は私はそこで労働を続けた。再び目標を見つけたことが嬉しかったのだ。一時間ほど働いた後、排出孔に到達するまでに掘り進めなければならない距離、そしてそれを完全に逸れてしまう可能性について私は考え始めた。目下の悩みはなぜこの長いトンネルを掘らなければならないのかということだった。マンホールのひとつからすぐに排水溝へ入り込み、また家に戻ってくることもできるのだ。またこの家を選んだのも不便なように思われた。ここでは無駄に長いトンネルが必要になる。私がこうした問題に直面してほどなくすると砲兵は掘るのを止めて私の方を向いた。

穴はまだ浅い。

「よく働いた」彼は言って、手にしたスコップを置いた。「少し中断しましょう」彼が言った。「屋根に登ってあたりを偵察した方がいいと思うんです」

私は作業を続け、少しためらった後、彼は再びスコップを手にとった。その時、突然ある考えが私の頭に浮かんだ。私が手を止めるとすぐに彼もそれに倣った。

「なぜあなたは共有地を歩き回っていたのですか」私は言った。「ここにいないで?」

「息抜きですよ」彼が答えた。「戻ってくる途中だった。夜の方が安全なんです」

「しかし作業は?」

「いやいや、ずっと働くことなんてできません」彼が言ったその瞬間、この男の素顔を私は垣間見た。彼はスコップを握ったままためらっていた。「今は偵察をしなければ」彼が言った。「誰かが近くに来たらスコップの音を聞きつけて不意に出くわす可能性もあるんですから」

私はもはや反論する気も失せていた。私たちは一緒に屋根裏に登り、はしごの上に立って屋根へ出るための扉から外をうかがった。火星人の姿は見えず、私たちは思い切って瓦の上に踏み出すと胸壁の影に滑り降りた。

その場所からだと植え込みでパトニーの大部分が隠れていたが下の方に川を見ることができた。川には大量の赤い草が茂り、ランベスの低地は水浸しで赤く変わっていた。赤いつるが古い宮殿のまわりの木々に群れ上っていたが、そのつるは枯れしぼんで垂れ下がり、その塊の中にしなびた葉が見えた。赤い草の増殖によってあふれ出した水の中にたくさんのそうしたものが垂れ下がっている様子は実に奇妙なものだった。私たちの周りには草は根を下ろしてはいなかった。キングサリや赤みがかったトウモロコシ、カンボク、針葉樹の木々が月桂樹とアジサイの間から伸び、緑の葉を日光に輝かせている。ケンジントンの向こうでは濃い煙が上がり、それと青いかすみが北の方の丘を隠していた。

砲兵はまだロンドンに留まっている人々について話し始めた。

「先週の夜には」彼が言った。「何人かの馬鹿なやつらがいつものように電灯をつけ、リージェント・ストリートやピカデリーサーカスのあたりが輝いていました。化粧したみすぼらしい服のよっぱらいどもが群れ集まり、男も女も夜が明けるまで踊ったり叫んだりしていた。そこにいた男のひとりが私に話してくれました。夜が明けて、気がつくとランガムの近くに一体の戦闘マシンが立ってこちらを見下ろしていたと。そいつがどれくらいの間そこにいたのかはわかりません。彼らの何人かは醜態を晒したに違いありません。そいつは彼らに向かって真っ直ぐに道を進んできて、泥酔したり、驚いたりして逃げ遅れた者たちを百人近く捕らえました」

一体の戦闘マシンが立ってこちらを見下ろしていた。

その時のグロテスクな光景は、これからも決して完全な形で歴史に記されることはないだろう!

それから私の質問に答えているうちに話は再び彼の壮大な計画へと戻っていった。彼は次第に熱狂していった。戦闘マシンを奪取できる可能性について彼があまりに雄弁に語るので思わず私は再び彼を信じそうになるほどだった。しかしその頃には彼の人柄を理解し始めていたのでこの大変な状況で彼が迅速に何かを成し遂げることはあり得ないと直感していた。一方で、彼個人としては本当にあの巨大なマシンを奪い取って戦うつもりであることに疑問の余地は無かったことも記しておく。

しばらくして私たちは地下室へと降りていった。私たちのどちらも穴掘りを再開することには乗り気でないようで、彼が食事にしようと言った時には私は何の不平も言わなかった。彼は突然、気前が良くなり、食事が終わってどこかへ消えたかと思うと高級な葉巻をいくらか手に戻ってきた。私たちはそれに火をつけ、彼の楽観主義も高揚した。彼は私の登場を重要な出来事と考えたがっているようだった。

「この地下室にはシャンパンがいくらかあります」彼が言った。

「テムズのワインにすれば穴掘りを続けられるのでは」私は答えた。

「いいえ」彼が言う。「今日のホストは私です。シャンパンだ! 偉大なる神よ! 私たちの前には膨大な仕事が待っている! 休息をとって必要となる力を養おうじゃありませんか! このタコのできた手を見てください!」

さらに安息日なのだから食事の後はトランプで遊ぶべきだと彼は主張した。彼は私にユーカーを教え、私は北側、彼は南側という風に二人でロンドンを分けた後、行政区を点数代わりにトランプで遊んだ。冷静な読者からするとグロテスクで馬鹿げたように見えることだろう。まったくその通りだ。しかしもっと重要なのは、私たちがおこなったトランプや他のいくつかの遊びは私にとって実に楽しいものだったということだ。

人間の精神とは何と奇妙なものか! 私たちの種が絶滅か、あるいは恐るべき退行のふちにあり、ぞっとするような死を迎える可能性の他にはなんら明確な展望が無いというのに、私たちは座り込んでトランプの絵札を手にするチャンスをうかがい、大喜びで「ジョーカー」を切っているのだ。その後、彼は私にポーカーを教え、私は三度のチェスの大熱戦で彼を打ち負かした。暗くなってくると私たちは危険を犯す決意を固めてランプに火をともした。

延々と続いたゲームの後、私たちは夕食を食べ、砲兵はシャンパンを空けた。続いて私たちは葉巻をくゆらせた。もはや彼は私が今朝出会った人類の熱心な復興者ではなかった。依然として楽観的だったが、それは実のない頭でっかちな楽観主義だった。私の健康で締めくくられた、ありきたりでさんざん言葉に詰まる演説を彼がぶったのを憶えている。私は葉巻を手に、ハイゲート・ヒルに沿って緑色に燃え盛っていると彼が話した光を見るために上階へ行った。

始め私はぼんやりとロンドンの中心部を見つめていた。北部の丘陵地帯は闇に覆われ、ケンジントンの近くの火は赤く輝き、ときおり炎のオレンジがかった赤い舌先が吹き上がっては深い青色の闇夜に消えた。ロンドンの他の場所は真っ黒だった。その時、近くに奇妙な光があるのに私は気づいた。淡い紫の柔らかい光で、夜風で震えている。しばらくの間、それが何なのか理解できなかったが、やがてあの赤い草に違いないとわかった。そこからかすかな放射線が放たれているのだ。それが休眠していた私の驚嘆の心センス・オブ・ワンダー、分別の心を呼び覚まして再び目覚めさせた。私は目をその光から火星へと移した。赤く澄んだ火星は西の空高くで光を放っている。それからハムステッドやハイゲートの暗闇に長いこと一心に目を凝らした。

私はかなり長い間、屋根の上に留まっていた。なんと奇怪な変化の一日だったことだろうか。深夜の祈りから馬鹿げたトランプ遊びまでの精神状態を順に思い起こし、激しい嫌悪感に襲われた。葉巻がひどい浪費の象徴に思えてそれを投げ捨てたことを憶えている。自分の愚行がひどく誇張されて思い起こされた。妻や仲間たちへの裏切りであるような気がしたのだ。酒と大食をおおいに好むこの奇妙な自制心に欠けた夢想家のもとを離れ、ロンドンへ行くことを私は決心した。そここそ火星人と自分の仲間のおこないを知る最良の場だと私には思われた。遅い月が昇ってきた時には私はまだ屋根の上にいた。


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